くがつのおわり。すこしだけ雨がふる。 ひと雨ひと雨と。空の気分が秋色に変るのだろう。
秋風は。せつなさをつれてくるだろうし。 もの思うことも多くなるのかもしれない。
時雨心地という言葉を知っているかな? いにしえのひとが詠んだ歌にあるんだよ。
大空は曇らざりけり神無月時雨心地は我のみぞする
なんかさ。この歌がやたら気に入っている。 いにしえのひとも。空を仰いではせつなさをかみしめていたのかな。 天は高くこんなにも澄みきった空。ああ、なのにどうしてか涙が出そう。
秋はきっとこんなふう。いつの世だって秋はこう。
わがむねにあめがふりますぬれたってかまわないからあめよふれふれ。
急ぎ足の夕暮れ。風がもう肌寒くなる。 ゆらゆらと。すすきの穂が。みな一斉にどこかを。 見つめている姿は。静寂の一部分であるかのごとく。 ふと淋しさをおぼえるものだ。終るのではなくして。 夜がはじまる。淋しいと思う心が。さびしさの正体。
夕食後の食器洗いをしていると。彼が茶の間で。 ようし!ようし!と独り言を言いながら手を叩いている。 阪神の優勝が今夜決まるのだそうだ。とても嬉しそうだ。 わたしはかれがうれしそうだとうれしい。 いつからなのか。ずっとさいきんそうかんじるようになった。
8時からセカチュウだぞってやたらすすめてくれるので。 茶の間じゃない部屋でひとり見ようかなと思う。
だから。ココロノスイッチはオフ。
さびしさなんて。どこにもないじゃないかと思う。
薄桃色の萩の枝垂れ咲く峠道を。今日も行く。 ひんやりとした朝の空気。名も知らぬ鳥の声。
恵まれているんだなと思う。なにひとつもう求めることはない。
仕事中。とても嫌だなと思うことを耳にした。 ひとの噂とか。中傷とか。ひとの汚い部分とか知るのは悲しい。 とてもやるせない気持ちになってしまうものだ。
そしたら。オババが。「ほとけになろうよ」っと言った。 それはとてもはっとする一言だった。
見ているかもしれない。聞いているかもしれない。 でも何も言わない。そしてすべてをなるようにしてしまう。 善だとか悪だとか決めつけることもしないで。
どれほど。日々どれほどいろんなことに振りまわされていることか。 見て見ぬふりが出来ればどんなにか楽だろうと思ったりする。
ほとけになる。なってみるべきだと思った。
いやちがう。ほとけになるという意志を大切にしたいと思う。
ああ蝉が死んでいる。そう思って手のひらにのせれば。 まだかすかに動いている。羽根をふるわせて飛ぼうとしては。
ぽとんと落ちた。決して哀しみではない。ただ夏がもういく。
夕陽を背に家路につく。落ちるものはいつもせつなくて愛しい。 染まるのは川面。さらさらと流れる紅の水もまたせつないものだ。 どこから?そのせつなさはどこからくるのだろう。とふと思った。
そんな思いをよそに。たんたんと夜が更けていく。 朗らかな談笑や。いつもと変わりない平穏なくうきや。 ほのかに酔い始めた自分自身や。ゆっくりと切り離されていく。 現実が。そこにある。なんだかちっとも不自然ではない場所で。
ぼんやりと静けさを受け入れていると。不思議と心が癒されてくる。
あのひとはどうしているのだろうっと。ふと思うことも許されて。
せつなくもながき夜を。流れにまかせて越えてみるのがいいだろう。
ああ。たったいま。私が落ちた。
群生しているその紅の花を見た。 立ち竦むだろう私なら。涙ぐむかもしれない。 カメラを向けたら手が震えてしまうだろう。 だけどそれは待ち望んでいた風景に違いなかった。
見せてもらえることのありがたさ。 ネットって。時には胸が熱くなるものらしい。 あなたのファンがここにいます。 いつも素敵な写真を見せて下さってありがとう。
私は。最近ちっとも写真を撮らないのですよ。 たまに撮ってみようかなって思っても。 ろくなものが撮れないです。削除ばかりしているし。
感動しません。自分が感動しないものはすべてダメ。 だからなのか。やたら人様の作品に深く感動するんです。 そうして。自分もって思える刺激を与えてもらっているのに。 ダメなんです。くすぼっています。まだ火がつかないみたい。
でも。まっ・・いいかって思っているので。
そのうちね。これ見てくださいって言うから。
待っていてね。ここを見るのやめないでいてね。
今日の彼岸花。とても嬉しかったですよ。
雲ひとつない空に浮かんでみたいとふと思う。
風に逆らうこともせず。流れ流れていく先で。
ああこれがわたしと。きっと気づけるときが。
来るだろう。だからいってみたい。空の彼方。
愛しさについて考えた。 いちばん愛しいと思うひとについて。 最後の最期まで。それはあとどのくらいなのか。 知る由もないのだけれど。会いたくて逢いたくて。 だからこそ逢わずにいて。そのまま逝ってしまいたい。 と。思った。それが結論。これが生まれ変る準備なのだと。 ばくぜんと思う。こころが彼方へ。遠いところへ旅立って。 いった。
たぶんもう秋なのだ。季節が向こう岸へと向かいはじめて。 日常の平穏のゆるやかなスペースにちんまりと佇んでいると。
おさえきれずにあふれるものがとくとくと痛くて。
真っ青な空ばかり見つめてしまう日が。あってしまうこともある。
彼岸花の咲く頃。ひとつの人生が終った。
9月22日午前9時20分。 祖母、愛ちゃんが静かに息をひきとる。
もうほんとうに思い残すことなどないように。 それはそれは安らかな死顔は。 あの日病室で私と手をつなぎ歌った時の笑顔のままで。 にっこりと微笑んでいた。
お彼岸に旅立つとすごくいいところに行けるのだって。 手をつないで導いてくれるひとがいてくれるのかな。 愛ちゃんは子供になってはしゃいでいるのかもしれない。
私ね。愛ちゃんにまた会いたいよ。
今度は私が愛ちゃんのお祖母ちゃんになってあげたいよ。
とうもろこしの皮でお人形作ってあげるね。 小豆をことこと煮て美味しいおはぎを作ってあげるね。
そして手を繋いで歌おうね。愛ちゃん。
ありがとう。愛ちゃんがお祖母ちゃんでいてくれて。
私。すごく嬉しかったよ。
「新しい朝が来た」それは最近よく耳にするCMの曲だった。 通勤途中のラジオから。もう少しで職場に着く頃に毎朝流れる。 ついつい続きを歌ってしまう。新しい朝が来た、希望の朝だって。
この歌って知っている。そうそう確かラジオ体操の時の歌。 子供の頃の夏休みに毎朝聞いていたから。よく覚えているのか。 懐かしいなあって思いながら。その頃はちっともいい歌だと思わなかった。 だって、まだ眠いのにしぶしぶ起きて。しょうもなく体操していたもんな。
それが今になって聞くと。やたらいい歌だなあって思う。 生きている限りずっと新しい朝が来る。それも希望の朝らしい。 ふやけてしまったこころとか。一気にピチピチしてくるありがたさ。
些細なこと。こんなちっぽけなことさえ。おとなは嬉しく思えるのかな。 年をとるのもまんざらではなく。けっこういいことだなあって思うのだ。
もうひとつ。夕方何気なく見ていたローカルニュースで。 母校の仮装行列の映像を見た。懐かしさではらはらと崩れ落ちそう。 みんなで色々考えて。それぞれが衣装やカツラを作ったりして。 街中を練り歩いたっけ。恥ずかしいなあって思いながら。それが楽しくて。 高校三年の秋。すごく多感で。なんだか私にとっては人生を左右するような。 とても重大な事があった年だった。だけど私はみんなと一緒の笑顔でいられた。
懐かしさ。それっていったい。どんな色で。どんなかたちをしているのか。
絵に出来ないもどかしさ。だけど忘れられない。一枚の絵のようなもの。
昨夜まんまるの月を眺めたころは。 もう日付が今日に変っていたのだが。 少しばかり千鳥足で。きをつけをして。 ちょうどそれは私の真上に輝いていた。
満たされた夜空と同じように。満たされた一日の終わりだった。
やはりあと10年はバトを続けたい。大好きなことを忘れない。 かけがえのない仲間達を大切にしたい。みんなの成長を見守りたい。 若い仲間たちは。長男のようで長女のようで末っ子もいてくれて。 みんなみんな自分の子供のように愛しくてたまらないのだ。
今日のこと。
ずっと入院している祖母。愛ちゃんの容態が悪化しているため。 二時間半ぐらいの道のりを。会いに行く。
もういくら呼びかけても目を開けてくれなくなった。 口には大きな管が差し込まれ。喘ぐように息をし続けている。 手を握ってあけたくても。両方の手に点滴の針があり。 動かしてはいけないといわれ。もう何もしてあげられなかった。
悲しさよりも。どうしようもなく遣りきれない思い。 こんな惨い姿になっても。まだ生きなければならないのだろうか・・。
後ろ髪をひかれる思いで病室を出る。涙がとまらない。
これが愛ちゃんの最後の勇気なのだと思う。
彼岸花が咲き始めた。あの紅はなんだか心が痛い。 朝露に濡れていたその紅に。涙のような光が見えた。
浮いて落ちて。また平穏を感じながら。 ひらべったいところにいるここちよさ。
じぶんをしるべきだ。もっとおくふかく。 てなづけてみるべきだ。とりかえしのつかなくなるまえに。
とめてみろ。
明日は。やはり行ってみようと決めた。
うさぎさんお餅つきの準備しているかなあ。
あたりが暗くなってから。ほんのつかの間どしゃぶりの雨が降る。 ざあっと大騒ぎして通り過ぎて。その後なんだかさみしくなった。
いつものバドクラブへ行ったら。まだ誰も来てなくて。 一人で準備していたら。なんだかとてもつまらない気持ちになる。 しんどいなって思った。誰も来ないのなら帰ろうかなんて思った。
30分遅れでぼちぼち。メンバーがやっとそろう。 が。楽しさへのスイッチがイマイチで。なんだか不機嫌になる。 いけないいけない。これは私の悪い癖なのだけれど。 いじけちゃう。ほとんど拗ねている。そんな感じになるのだ。
そうなると。今度は疎外感みたいなのに苛まれるわけね。 誰とも親しくしようとしないのは自分なのに。 誰も親しくしてくれないと思い込むようになる。 いつもの笑顔。それだけでおっけいなのに。なんせいじけてるし。 ばってんなんだ。そんなことわかりきっているのに。わたしのバカ。
一時間経過。まあまあの状態にやっとなったところで。少し楽しい。 みんなみんないつもと変らない。変っているのはきっと自分なんだ。
うまくまあるく出来ない苛立ち。まあそんな時もあるもんだ。
練習が終わり帰り支度をしていると。うちの息子君と同じ年の仲間が。 日曜日にダチ練するから来れたら是非にと言ってくれた。 母ちゃん的にそれはすごく嬉しかったもんだから。涙出そうだった。 ありがとう、ありがとうって言いながら。とても申し訳ない気持ちになる。
引く時は引かないと。帰りながら思う。
だけど。そうしたらもう二度と声をかけてもらえないかも。 帰宅してお風呂のなかで。すごく悩んでみたのだった。
また今度ね。そう言ってしまったらもう最後なのが。 年老いてしまうことなのかもしれない。
最後がくれば。もうお終いなんだと思うと。すごくすごくさみしいのだ。
午後八時この静けさはなんだろうただただ鳴く虫ありがたきかな。
ぽつねんとぼんやりしている。
なんか今日はやたら疲れたなあとか思いながら。
けど。それなりに終えられてよかったなあって。
愚痴とか苛立ちとか手のひらで転がしてみては。
まあるくまあるく。ああもうみんな過ぎたこと。
波立つこともあってよし。それはきっと風のせい。
風のおかげで雲が流れる。ほらほら見てごらんよ。
月はね星だって。あの雲のせいだなんて言わない。
光ることを忘れずに。じっと時を待っている。
月明かり鳴く蝉あした死んじゃうの?
餡子がたっぷりのドラ焼きみたいな月が。 なにかとてつもなくおっきな夢でふくらんでいるように。 きらきらとまぶしすぎる今宵だった。
わたくしは。また夕暮れ時から愉しくてたまらない。 とてもとても高い場所へと跳びはねているように思う。 はしゃいでいる。飼い主に遊んでもらっている犬みたいに。
それは決して良くないことではないと思うのだ。 むしろ。ごく自然体。在りのままで良しとしておきたい。
スイッチを。今までどうして。なんのために。切り替えていたのか。 ふと考え込んでしまいそうになるが。まあそれも良かったのだろう。
あれこれ。それが自分の歩んで来た道というもの。
憂いなき道はない。ただ憂いに自ら落ちることもあるまい。
と。今は思っている。
書くということは。けっこうむつかしい・・・。
焼酎のお湯割り飲むにはちと早い。
夕暮れてから。なんだかとてもテンションが高い。 特に喜びとか。有頂天になるような事もないのだが。 いつになくへらへらとしていて。我ながら愉快である。 今ならきっと。鉛筆が転がっても大笑いしてしまうであろう。
そしてぼけぼけ。『海猿』の最終回見なくちゃって。 さっき跳びはねながら茶の間に走ったのだけど。 始まらなくて。チャンネルあちこちしながら首を傾げてしまう。 そっか。昨日日曜日だった。じゃあ今日は月曜日なんだ。 くすくす。そんな自分が可笑しくてたまらなくて。笑う。
さてそれならばまた漢字ナンクロ。まだ飽きなくてよろしい。 四字熟語って奥が深いね。ふむふむなるほどと頷くばかり。
『会者定離』とか胸にずきんとくる。 会う者は必ず離れる運命にあるということらしい。 そっか。運命か。ならしかたあるまい。
だからきみ。いつまでも嘆くでないよ。
よしよし。とても悲しかったね。
まだ夏にちがいないと思う日。
とうとう。飼っていたクラゲを海に帰しに行く。 一番ちっちゃいのが死んでしまったから。 そしてみんなとても元気がなくて。もう限界だなと思った。
出来るだけ波のないところを選んだつもりだったが。 ざぼんざぼんと。やはりどうしても波が来てしまう。 クラゲ達はくるくると。ここはどこなんだって感じで。 とても戸惑っているように見えた。もっと沖のほうの。 もといた場所なら嬉しかったろうに。なんだかとても。 可哀相な事をしてしまったな・・と思ったが。
海は海だろう。どこだって生き延びるもんだぜと彼が言う。
うん。そうやね。もう忘れてしまおう。
台風一過の青空もつかの間。また雨の週末となった。
過ぎ去ったものは。我が町にも水害として爪あとを残したが・・ 幸いなことに我が家は難を逃れることが出来たのだった。 逃れようのない自然の猛威と。ひとはいつも隣り合って生きている。 いつだって明日は我が身であることを。決して忘れてはならないと思う。
些細なこと。ひとつだけ支障があったのは。ネット接続がまた駄目になった。 停電のあとモデムの調子がまた悪くなってしまったことくらいだ。 なくてよしだと思いながら。なんだかとても憂鬱な日々が続いていた。 いつもと同じではないこと。ただそれだけで気分が滅入るものらしい。 おかしなものだ。このまま無くてもいいやとも思いながら。 何かが足らないと思い始める。複雑な心境のまま今日に至った次第。
そしてまた。書き始める。そのことにいったいどんな意味があるのか。 だからどうなんだ。だからどうしたと思いながら。不思議と気分が。 落ち着くのだ。ほっとしていられる居場所のような。ちっちゃな空間。
わたしここにいるよみつけて。そんな気持ちなのかもしれない。 そうでなければ。そこらへんのノートに書き綴ればいいのだから。
いつまでなのかわからない。
とにかくここが。わたしの居場所らしい。
はげしく雨が降っている。 ひゅるひゅると風も強くなリ始めた。
とてもおっきな台風らしくて。なんだか怖いなと思いながら。 来てみないとわからないし。とりあえず来てみてよとも思う。 気分は準備おっけいね。あとはなるようになりましょうかね。
庭の鉢植えなど家の中に入れて。愛犬は廊下で寝そべっている。 消防団の夫君は。高潮のため浜辺の地区へ見回りに行った。 もう慣れっこ。なにも戸惑うこともなく。これも平穏のひとつ。
昨夜。少しだけ気分がざわざわとしていたのだが。 何か求めちゃいそうな。すごく遣りきれないような気分。 言葉は悪いけれど。ええいこのやろうって思った。 振り回されるわけにはいかないのだ。だから捩じ伏せる。
そして。いまだ飽きることもなく漢字ナンクロばかり。 夜も更けてくると頭も冴えなくて。目もよく見えなくなるけれど。 どうしてこんなにまでしなくちゃいけないのだろうって呆れるくらい。 無我夢中とか。四苦八苦とか。生生流転とか行雲流水とかしている。
なにかから逃げているのではない。と。あえて断言しておく。
もうすっかり暗くなったというのに蝉時雨。 そして。かわりばんこねと鳴くのは秋の虫。
なんだかもう。土曜の夜なのか。 最近やたらと。はやいのだ。飛ばしすぎているようだ。 だけどしょうがない。とんとんとんと過ぎるのだから。
今週。ふと引っ掛かってしまったこと。 深く考えないでいようと思ったけど。どうしても考える。
それは『電車男』見た時。「晒す」って言葉に反応してしまったこと。 すごくぐさっと胸にこたえた。一瞬ものすごく罪悪感を感じてしまう。
気を取り直す。まだ完璧ではないけれど。とにかく書いている。 開き直ってみたりして。自分を晒すのも良いだろうと思ったり。
わたしはすごくほかからのえいきょうをうけやすいのだ。 だからしんねんとかいっててもすぐにゆらぎだすのだった。 じしんが。それはじぶんにじしんがないせいかもしれない。 だけど。ぷらいどみたいなものはちゃんとあるみたいだから。
うんうん。いま頷いている。
まっ・・このままでいいのじゃないのって自分が。 自分の頭なでている状態になりつつあるので。
おっけいにしてあげようと。ついいまそう思ったところだ。
鈴虫はどうしてせつなく鳴くのだろう。
酔いどれている夜のこと。
気がかりなことなど何もない。
せつないことなど。忘れてしまった。
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