覚えている方がいるかどうかは分かりません。 仮に覚えてる方がいらしたとしても、私のことを「痛すぎるメンヘラちゃん」として覚えてると思います。 あれだけ2ちゃんで叩かれたりしたのにね(笑) きっと自意識過剰者なんです、私。 だからまたここに駄文を綴っているのでしょうね。 当時私の知らない間に、「自称いおりさん」がなんか2ちゃんに書き込んでいたけど、私からしてみると「この人は人として恥ずかしいことをしている自覚はあるのかなー?」ですね。 あと、私が精神病院に入院して日記が更新できなかったときに、うちの実家に電話してまで情報を仕入れ、それを2ちゃんに書き込んだ方も、私からしてみると「恥知らずだなー」です。 あ、いきなり人を批判することを書いてしまった。 そういうの控えようと思ってた矢先にね。 ごめんなさいね。 こんなこと書くと綺麗事だと思われるかもしれないけれど、その人も一人の個性ある人間ですからね。
ここで「いおり」として日記を書かなくなり、かなり年月が経ちました。 20代半ばの頃に知り合った、普通の男性とずーっと同じ時間を過ごしています。私はここで「メンヘラいおり」として、何を頑張っていたのか?今思えば不思議なのだけど、訳のわからない基地外文章を日々更新していました。今の旦那と知り合っても私はおかしな呪縛のようなものから、しばらく縛られているままでした。彼にはかなり根気強く接してもらい続け、今は眠れない時が少しあったり、時々軽い不安な気持ちを持つことはあるけれど、あの酷い基地外だった自分がやわらいでいるのを感じています。
最後の通院してた先には、躁うつ病と言われていました。なんとなく自分でも私は単純なうつ病ではないだろうなーと思っていたし、ボーダーでもなかったんじゃないだろうか。あのぶっ飛んではおかしな言動行動したかと思えば、すっごく落ち込んでいたのは、まさしく躁うつ病と言うのが合ってる気がします。まぁ、私の主治医でもない方が「あなたはアスペじゃないか」と言ってきたことがあるのだけど、アスペでもないです(笑)最後の通院してた先と書いたのは、今は精神科からさよーならーしたからです。
私は恥ずかしい文章垂れ流し以外にも、浮気したしされもしたし、人を傷つけ傷つけられ、いつの間にか今年で三十路半ばになる予定で、少し丸くなったかもしれません。「無駄なことはない」と言う言葉があるように、基地外体験(笑)も、人との摩擦も、全て今の私に繋がっていると思います。
旦那が最初から今ほど大好きだった訳ではありません。私は一目惚れはしたことないし、顔から好きになることもなったことがないです。 年月がどんどん積み重なっていって、うーん、と相手に対して気持ちが上下しつつ、今の状態になっています。ずっと一緒に居続けているから相手に飽きるとか、男性に見えなくなっていって、「亭主留守で嫁元気」(←少し間違えてるかも)とかは、信じられませんねー。私は小池栄子のような嫁さん、大好きです(笑)イメージ先行ですけどね。小池栄子が出てる映画が好きっていうのもあるけれど。
私は活字をあまり読まなくなりました。10代の頃から好きな作家さんの伝えたいことが、そのまんま自分の価値観に直結してしまっていた所がありました。段々素直な気持ちで人たちと接するうちに、日常や人と接して感じたことや考えさせられることや実際の経験のほうが、よっぽど自分にとって糧になるものではないかと考え方が変わっていきました。
今一人の男性を好きで居続けて思うことや疑問に思うことがあるとすれば。 異性にモテることってそんなに重要か?と言うことです。 何人も恋する対象の異性がコロコロ変わったり、色んな異性と結婚離婚を繰り返す人って、私の固定概念からは「??」だったりもします。 私の考えが固いかもしれないし、人の勝手でしょなことであって、他人の自由だもんなぁ。
旦那は私があそこに行きたい!と思うところをリクエストすると大抵連れていってくれます。私は昔のイトイ新聞に載っていた岡本太郎の発言集に凄く生命力を感じて、今でもなんとなく元気が出ないなーと思うと、検索して発言集を読みます。なので青山の記念館や川崎の美術館に連れていってもらったり、それ以外だと箱根の彫刻の森美術館や、寺山修二が好きなので青森県三沢市の記念館など。あと私は「水」が感じるところが好きで何件かの水族館や海とか、他にも自然が溢れる場所など。合掌造りにも行ったなー、ここ世界遺産です。
あ、あの頃と違わないのは占いオタなまんまと言うことですかね。あの頃ってすんごく知識浅かった上に、なんか度数間違えて計算していた模様。相変わらず水がめ座的な人が好きなんですけどねー。(旦那や親友や尊敬できる人など何故か集中してるよ・・・)
全然料理をするのが好きでもなかった私が、旦那と知り合って難しい料理はできないけど(笑)、今は料理雑誌やクックパッド見ながら、ご飯を作ってるとはあの頃は予想にもしなかった。(基本的に料理上手ではないので、とんでもない失敗作ができないために、レシピ通りにするしかできないのです。料理上手な人は性別問わず尊敬できますね)昔は何に対して反逆してたのか分かんないけど、単純な馬鹿思考で男性に料理作って食べさせるのはぶりっ子である!私は男性に対して下手に出て喜ばそうなどと思わん!とおかしな歪んだ考えを持ってました。今はそれは日常的なことになっているので、当時どんな変な意識をしていたんですかね?
最近の旦那との目標はまたしも旅行に行くことです。とある変わった動物を見て触りたいんだそうですよ、旦那。私は私で一緒に陶芸体験したーい!と言ってます。私は一人の世界にこもっていることに満足している人間でした。誰かと何かを分かち合いたい共同作業したい気持ちは、今みたいに無かったかもしれないです。
世の中私以外にも、私と違った自意識過剰者っています。私と違うところは本当は自分が何かを作り上げたいと思っていそうなのに、私が色々好きな作品があると、お前も○○さんも作ってみたらどうなんだー!的なあてこすりをしてくる人がいると少し参ります。数人、言われました。「何読んだりするの?」と聞かれて当時好きな作家さんの名前をあげたら、「君は小説家になればいいじゃないか!」とか、これって飛躍してるなぁと思うんです。小説を読むのが好きな人が全てが全て、自分もなりたい!と思っているとは限らない気がするんですよね。
この世に芸術と言うのがあるとしても、それをどう感じるかも、どう接するかも、その人の性格別と言うか個性別なのであって、私のように傍観者であることにどうのこうの言われてもなーと。
きっと昔くすぶっていた気持ちや不満は、旦那と一緒に生きることで昇華している気がします。私は自分って実はこうだったのではないか!と思ったんです。この世で老若男女問わず、好きな感情を肯定的に傾けられる人がいるということが自分にとって意味あることで、私はこの世に誰も好きに思う他者がいないことは辛く感じます。
う〜ん、二度寝すっか〜♪
お気楽お気楽。
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