次の一歩へのこと。 - 2014年12月28日(日) こんにちは。ukです。 色々と思ったこと。 年の暮れと、お酒と、本と、将来なんかのことです。 *** 年末だなぁということを感じるようになった。 具体的に何を見てとかではないけれど、そういった 雰囲気というか街の様子やテレビ番組から。 思えば社会人になってからというもの、毎年なぜだか 年の暮れはバタバタと仕事で忙しかった。 前職の仕事の性質上は、特に年末に繁忙になるという わけではなかったのだけれど、担当していた企画や 案件の進みが良くなくて残業が続くことが多かった。 だから今年は、初めて本当にゆったりした年末だ。 ゆったりしすぎていてこれでいいのかというほど。 いやこれでいいわけないんだけれど。 でも、こんな機会というか時間は、きっとこの先の 人生でそう多くない貴重なものなんだろうな。 加えて、妻子は今、妻の実家で子育て中。今自分は、 一足先に自宅へ帰って、年始からの仕事の準備。 実際には、友人と会ったり、だらけているが・・。 充電期間。放電しない程度に、蓄えて。 *** お酒を飲みすぎて気分が悪くなることが多い。 ただ、昔に比べるとそれほど量は飲んでいないはず なのに、すぐに酔いが回って気持ち悪くなる。 先日も、辞めた会社の同期数人と飲む機会があり、 そこでも幾らか飲んで、ふらふらしかけた。 開始は正午。スタートはビール中ジョッキ一杯。 そのあとは、焼酎一杯。一軒目ではその程度。 二軒目では、日本酒一合の半分か三分の一。 それと焼酎また一杯程度。散会が夕方五時頃。 その後に友人宅へ行き、そこでは焼酎を一口。 「昔はー」なんて痛い自慢をするつもりはないが それでも今の方がはるかにお酒に弱い気がする。 何が原因なのか分からないけれど、思い当たる節は 実は山ほどある。あくまで勘だけど。 まずコンディション。飲み会前に半身浴でたっぷり 汗をかいて血行があまりに良かった。ということは その分、お酒のアルコールのめぐりも良かったか。 あとは、久々の同期との飲みということで、若干の 緊張もあって、食事が進みにくかった。 お腹の中にそれほど食べ物が入っていない中で、 いきなりアルコールを投入したことで悪酔いしたか。 または、昔に比べて運動量も減ったし、筋肉量も 少なくなったので、内臓機能も低下しているか。 次に、飲み物の組み合わせとその量と時間。 まず飲んだ種類としては、ビール、焼酎、日本酒。 一応ちゃんぽんと言えばちゃんぽん。 ちゃんぽんが悪酔いの原因になる根拠は無いと聞く ので、悪いとすればその量だったりするのか。 結局、身体の中に蓄積されていくアルコールの量は、 種類の同じお酒だろうが違うものだろうが、それだけ 飲めば飲むだけ増えていくに過ぎない。 結局、スタートが正午だとしても、最終的には夜の 十時頃に友人宅を後にしているので、トータル酒量は それなりに多くなってきているのではないか。 加えて、飲んでいる最中に他の水分をあまり摂らず また、トイレにもいかなかったために、肝臓へ負荷を より多く与えることになったのかな。とも思う。 原因はこれと断定できないが上で書いたような状況が 重なって、お酒にすごく弱い状態になっている。 そんな気がする。 お酒に関してもう一つ書くと。 個人的には、昔からお酒は嫌いじゃないし、色々な 種類のものでも美味しく飲める方ではあったので、 飲み会というのも嫌な思いはしなかった。 よく最近の若者は飲み会離れをしているなんてことも 騒がれていたりもするが、自分は飲み会の雰囲気も 嫌いじゃないし、いつもとは異なるテンションで、 飲みながらお喋りできることに面白さを抱いたりする。 けれども、この頃はというと、自分自身がこういった 体調になってお酒が弱くなったと感じるようになると、 どうにも、お酒や飲み会に対して抵抗感を持つように なってしまっている自分が居るようにも思える。 お酒や飲み会は嫌いになりたくないけれど、当日の 悪酔いや翌日の(酷いときは翌々日)二日酔いを思うと 何だか飲みたくないなぁ、と思ってしまったり。 とはいえ、そういう体調を忘れて回復してしばらく すると、また無理に飲んでしまったりする。 そういう繰り返しをするのは、何とも馬鹿げているな と、いい加減思うようになってきた。 というわけで、次の飲みの席から、自分なりにお酒を 飲む際のルールを決めてそれに従って飲むことにする。 たとえば、一杯目のビールだけでお酒はやめる、とか。 完全に断酒してしまうと飲み会の席で盛り上がろうと していた先輩や同僚、友人は「何だ飲まないのかよ・・」 という思いを抱かせることになってしまって、その席 自体が楽しいものでもなくなる。 かと言って、無茶して自分で飲み続ければ、その場は 酔って楽しくなることはあっても、次の日以降に、 体調を崩したりしてその後の生活にしばらく支障を きたすことになると、自分としても虚しいし残念。 だから、無理のないルールを自分で作って飲む。 よく飲みの席での「飲まないの?飲めよ!」という 俗に言うアルハラなんて言葉があるけれど、それは、 強要的なもの以外にも、自分で強迫観念ではないけど 「楽しまなきゃ」という思いから無理して飲んでしまう ようなケースもあるんじゃないかなと思う。 振り返ると、自分は気付かないうちにそういう思いを ずっと抱き続けながら、だましだまし身体に無理を させてきたように思う。 でもそれはもう終わりにしたい。だから自分ルール。 それでどう変わるか分からないけれど、自分を律する ことができなければ、自分で納得する人生を歩めない、 そんなことを思った。 何より飲みすぎて身体を壊したら勿体なすぎる。 *** 前にこの日記で、「名著と呼ばれる本」を読んで、 それを自分の人生の糧や道標にしたいと書いたけれど 色々探してみてもなかなか道標になるようなものには 出会えていない。難しい本や傑作と言われるものは それなりに糧になるし、面白かったりするけれど、 やっぱり読み返したいなぁという気にはなれない。 それはきっと、自分の知的レベルが低いというか、 一度その本を読んでしまうと、その達成感や満足感が 心を占めて、「はいここで関係は終わりです」という 何とも失礼な思いになっている気がした。 本来であれば、一度読んだ本を何度も読み返して、 そうやって初めて心に残るフレーズだとか、著者の 紡ぎだした言葉の重さに感動する、というものなんだ ろうけれど、自分は読んだら飽きてしまう。 何より、良くないことには、読んでいる最中に、 「あと何ページで読み終えるぞ」という思いを抱いて いることだ。 ただ、その中でも、やはり昔読んでもう一回何かの 節に読み返したいなぁと思う本もあったりする。 それは、世にいう名著や古典というものではなくて、 本当に読みやすくて、そのときの自分に必要な言葉が 必要最小限で詰まっている、薄い本だったりする。 だから、自分にとっての好きな本、というのは、当面 そういう本ということにしようと思った。 背伸びして小難しい本を読むのは良い。けれども、 それを「好きです」と言うには、何だか申し訳ない、 そんな気がした。咀嚼が十分じゃない。 いつか、たくさん色んな本を読んで胸を張って、 「好きな本です」と言えるように。 自分に合うものを落とし込んで、自分を成長させて それで自分に合うものを広げていければ嬉しい。 決して、自分に合うものをこれだけと決めずに、 少しずつでも、様々な刺激を受けて、色んなことを 考えて、見ることができるように。 *** 次の仕事の準備というか勉強をしている。 が、最近は、上で書いたようにだらけていたり、友人と 遊んだり、という日々。とにかく、年明けの仕事までに ある程度の下準備だけはしておかないと。 また、その先のその先、ということも忘れたくない。 将来的に自分がやりたい仕事、それを実現させるために 今の自分には何が必要か、何を得たら有用なのか、 そういった観点を忘れずに。 ただ他方で、「楽しい」「これがやりたかった」という 思いも、決して忘れないようにしたい。 楽しくなければ、仕事はお金を稼ぐ道具でしかない。 ただ時間を過ごしたり心身をすり減らすのみの対価として お金を貰うだけの生き方は、とっても寂しいものがある。 前職でその思いに気付くことができて、本当に良かった。 もうあんな虚しい働き方はしなくて済むように、頑張る。 夢中になって働けること。その観点も忘れないように。 最終的には、欲張りかもしれないが、自分のやってきた 携わってきたことすべてを繋げられるような。 そんな仕事ができて、それで自他ともに喜べるようなら 最高なんだけどなと思う。 次の一歩。 せっかく生きているなら、一歩一歩前進して成長したい。 どんな小さなことでもいい。そんなことを思ってます。 *** 2014/12/29 14:58 ...
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