まったりdiary

2010年03月18日(木) 父のこと。(今までのあれこれです)

父にがんが見つかったのは昨年の6月末の事でした。
その様子は昨年の日記(ここの日記に移る前の日記で)に書きました。

「顔色が悪いから病院で検査してもらえ」
とここ数年、母は父に言い続けていたらしいのですが、元から持病のあった父は毎月病院で血液検査等をしてもらってて自信があったんでしょう。
「その必要はない」
とガンとして聞かなかったんだそうです。
実際、毎月の検査での肝機能の数値はこれ以上はないくらいに正常値だったそうですし。
自分は父のあの顔色はウォーキングでの日焼けのせいかな?とか単純に考えてたくらいでした。

それでもウォーキングから戻ってそのままグッタリしてしまうような日が続くようになり、流石に本人も「これは?!」と思ったのでしょう。
それと前立腺肥大か?みたいな症状も出始めていたので泌尿器科で検査をしてもらって、『膀胱がんです。』と医師から告げられたのが昨年6月末。
『上んとこにも影があります。そちらの検査もしてみて下さい』
と言われ肝臓にもがんが見つかったのでした。

開腹手術なのかと思いきや、カテ−テル術だと言う。
腿の血管から管をガン細胞部分近くまで通してそこから抗がん剤を一気に投入するんです。
部分麻酔なので本人の体力の消耗も無く危険度も少ないので、今はよく行われているみたいです。
膀胱がんの方は抗がん剤を入れる前に、そのカテーテルを使って膀胱内のがん細胞を吸い出し、改めて抗がん剤を投入。
4日後には退院。
その一週間後の検査で『ガン細胞、消滅してますね。』と言われました。
念の為、一週間置きにこのカテーテル術での抗がん剤投入を全行程9回行うと言われましたがこの抗がん剤。
やはり膀胱内が相当荒れるらしく、我慢強い父がかなり痛がったそうです。
尿が溜まり始めても痛い。
トイレを済ませても激痛。
トイレをガマンしても激痛。
ほとんど一日中痛かったんじゃないだろうか?
『これね〜、みんな途中でイヤんなっちゃって(痛みで)3〜4回辺りでリタイヤして病院に来なくなっちゃうんですよ〜』
と、のどかに先生はおっしゃってたそうだ。

その治療と並行して肝臓の方もカテーテル術を行っていきました。
なので7月8月は病院を出たり入ったりの繰り返しで。
どちらもせいぜい4〜5日入っててはスグに退院と言う感じでした。

うちの父は何と言うか・・・・「その時の状況を楽しむのに長けている?」節がありまして。
術後すぐ病室に戻ってしばらく様子を見てもういい時間になってきたので母と
「もう帰るからねー」
と言うと、
『今まで、本当に世話になって・・・・・うっ』
とか言いつつこちらに手を伸ばしてバタリ☆とベッドに手を落としたり・・・・とシャレんならない演技かましてくる。
「明日も来るからさ」
と言うと
『明日、まだ生きてたらね・・・うん・・・会えるよね・・・・・(しんみり)←クサイ演技』

マジでシャレんなんないよ!的な冗談を平気でかましてくるんだよ。



それでも順次出てくる検査結果を見るたび、がん腫瘍の大きさがみるみる小さくなって行ってるのが素人目に見てもよくわかりましたので
「何だ!楽勝じゃん♪」
なんて思っていました。
9月末までは。
10月に入ってから父は時折激痛に見舞われるようになって行きました。
自分は同居していないのでその時の様子はあとから 母に聞いたのですがそれはもう酷い内容でした。
「あまりの痛みに耐えかねて、壁に頭を打ちつけている」
「ここが痛い・・・・とかそういうもんじゃなく、内臓全てを取り出したくなるような痛み」
だと言うのです。
それはいきなり始まって数分で治まっていたらしいのですが、かなり我慢強いあの父が「殺してくれ」と身をよじり泣いた・・・・と聞きました。
母は転げ回る父の身体を押さえつける訳にも行かず、ただただ抱きしめ二人で泣いたそうです。

9月末に3回目の肝臓のカテーテルを行った時
「今回は抗がん剤、多めに入れときましたよー」
と言われたとかできっとそのせいだ。
とずっと言い続けて我慢していたらしいのですが、流石に病院へ行き外来で薬を貰って来よう、と病院へ行ったのが11月2日。
『入院しましょう』
と言われそのまま入院となりました。

そして肝臓の方の主治医から、
『実は肝臓の外側のリンパの部分に豆粒ほどのがんが取りついていたのは分かっていた。けれどこの部分に手を出すと半身不随になる危険性があり手出しが出来なかった。なので肝臓の方の治療に専念する他手立てはなく、その間にリンパ部分の豆粒大のがん細胞がみるみるうちに大きくなり他臓器を圧迫する位にまでなってしまった結果がこの痛みであった』
と言う説明を受けました。
肝臓の方のがん細胞は、三度の治療で当初の三分の一以下程までに小さくなっていました。
たった三回の治療でここまで小さくなるんだ・・・・・。ならあと数回やったら完治とまでは行かなくてもかなり小さくなるのでは?
なんて思った程でしたが現実はそう甘くは無く
『こう言った状態ですので、もうこれ以上肝臓の方の治療を行い続けても患者の身体に余計な負担を掛けるだけになりますので肝臓の治療はもう終わりにしましょうか?』
と主治医から切り出された時、後頭部をハンマーで叩かれた様な気がしました。
デスク上の盤面に貼られたMRI画像の一つ一つについて説明を受けておきながら、話の流れ的にはもう手立てが無いのだ・・・・という雰囲気になっててもまだ、頭のどこか片隅では
「まだ大丈夫」
とう意識があったんです。
「え?終わり・・・ですか?」
としか答えようがありませんでした。

リンパの部分については肝臓や膀胱の様にカテーテルを用いた治療は出来ない。
なので全身に回ってしまう点滴による抗がん剤治療しか残されてはおらず、身体に負担を掛けずだましだまし弱い抗がん剤を続けるか、それとも強い薬(新薬)を使うか・・・という話になりました。
この先生はがん研有明病院から引き抜かれてきた方です。
父が入院する前この病院のHPを調べて知ったのですが、この先生はがん研究にかなり力を入れてらっしゃる方で(特に進行性・転移性肝臓がん治療)サイトに治療方法と治療例がかなり詳しくのっており、最初は「セカンドオピニオンを・・・」なんて考えていた自分も先生が書かれたこの文献を読みデータを見て「この先生だったら!」と全てお任せしていたのです。

「Uさんは(父の事)年齢が70歳代です。そして抗がん剤の副作用が出やすい体質でしたね。今まで苦しかったんですもんね。」(そうなのです。巷で言われている「お酒を飲んで顔が赤くなる体質」なのです)
「この薬は副作用が非常にきつい。吐くだけでなく全身が真っ赤になり激痛が続きます。」
この病院ではまだ2名しか試してないらしく、一人は好転(若かった)もう一人は亡くなられたとか。(高齢)
その他の治療法も提示して下さったんですが、今すぐに答えをださねばならんのか?という焦り。
しかも命が掛っている。
頭の中がぐるぐるしました。
母も迷っています。
父もまかなり迷っている風でしたが結局、新薬は使わず騙しダマシ弱い抗がん剤を使っていくと言う事にしたのでした。


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とりとんぼうず [MAIL]

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