あの25日から寝込んでいましたが、やっと復活。 節々の痛みも取れ、声も出るようになりました。 主婦が寝込むと、家族は悲惨な状況に。 つくづく、日頃の家族への手のかけすぎを反省しました。
歌びと
夜の闇の茂みのなかに 愛と哀しみの歌びとの声を きみは聞いたでしょうか 野辺が朝露にまどろむとき ものうげな笛の単調なひびきを きみは聞いたでしょうか 〜以下略〜 木村浩 訳
こちらは、プーシキンの「歌びと」の訳詩の一部ですが、光ちゃんを好きになったとき、この、歌びとがよみがえったんです。
伏し目がちの美しい光ちゃんと、この歌びとが重なって・・・。 真夜中に、誰にも知られず嘆きの歌を歌う美しい若者って、光ちゃんのイメージにぴったりって、思ったんです。
15、6の頃はじめて読んだとき、プーシキン17歳のときの作品と知り、なんだか嬉しくって、ノートに書き写してはうっとりし、暗唱しては喜ぶ、大好きな詩の一つになりました。
作家にしろ作曲家にしろ、早熟な天才たちの、早い時期の作品は、どれも魅力的。 詩が翻訳によって別物になることも、この詩で知りました。 手許にある、金子幸彦訳の、プーシキン詩集のなかの歌びとは、
君よ 聞き給いしや 暗き夜の茂みのおくに 愛の歌びと おのが嘆きの歌びとの声 野辺に音なき朝のひととき 飾りなく ものわびしげな 笛のひびきを
〜以下略〜
どちらもとっても素敵ですが、違う味わい。 日本語のおもしろさを感じます。 門外漢ゆえ(他のことも何も知りませんが)、子供っぽい感想でお恥ずかしいですけど。 外国語のわからぬ自分は、翻訳されたものを読むことしかできませんから、素晴らしい日本語になった詩を読んで、これは、元の詩の魅力なの? それとも翻訳者の力のおかげ?って、いつも悩みますけど。 両方でしょうか。
私の見つけた、愛と哀しみの歌びと、光ちゃんは、パンちゃんのお蔭もあってか、近頃、幸せそうですが、 まだまだ、いろいろなしがらみにがんじがらめ。 愛と喜びの歌びとに変わってくれるのはいつのことでしょうか。
|