VITA HOMOSEXUALIS
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2018年01月21日(日) 熊本地震とゲイの暖かさ(2)

 アパートに帰ってみると部屋の中はめちゃくちゃだった。

 あらゆるものがひっくり返り、飛び散り、壊れたり割れたりしていた。

 冷蔵庫の扉が開き、中のものが床に散乱していた。

 不思議なのはパソコンのプリンターで、上手に上下が反転して床に落ちていた。しかし、それを元通りに戻して接続すると動いた。印刷も正常だった。

 電気は止まってなかった。ガスも出た。

 問題は水だった。断水していた。外に出てみたが、自動販売機はどこも水だけ売り切れ。コンビニもスーパーも空いておらず、水を手に入れることができなかった。

 私は冷蔵庫を動かし、洗面器に霜をかき集め、それを溶かして水を得た。霜のときは量も多いように見えたが、溶かして水にするとわずかしかなかった。ともかくそれを指先につけて口をすすぎ、顔をぬぐい、残りはトイレに使った。

 そういう生活が3日続いたとき、大阪のゲイ友を通じて近所のゲイ仲間と連絡がとれた。この大阪のゲイ友は若いけど人柄の良い人で、たまに大阪に出張すると会い、ときにはホテルで抱き合うこともあった。

 そしてその、私の近所のゲイ仲間というのは、もともと大阪の彼の友達なのだったが、自転車でほんの数分という、熊本の片田舎にしては信じられないほど近くに住んでいるゲイであり、体の付き合いはなかったが、ときどき酒を飲む、ガテン系で体はでかいが、人当たりの柔らかい、優しい人なのだった。

 もちろん、彼のところも水は止まっていた。だが、彼の家の近くには湧き水がある。熊本は阿蘇の地下水のために水が豊富で、至るところから清水が湧き出すのだ。

 彼はありったけの容器、それこそ、鍋からヤカンから、ペットボトル、水筒など、自分のウチにあるありとあらゆる容器に湧き水を詰めて、クルマで私のところに運んでくれた。

 残念ながら、地震の影響で湧き水はしょうしょう濁っていた。しかし、飲水には無理でも、顔を拭ったりトイレに流したりするには十分である。また、沸騰させてしまえば飲めないわけでもない。

 私はその湧き水で不自由なく暮らすことができた。

 そのうちに会社が本社から大量のカップ麺や水をトラックで運んでくれ、会社では大きな会議室の机を取り払って床にいくつかテントを張ってテント村のようにし、近隣住民の避難を受け入れ始めた。従業員の中にも自宅が壊れた人はそこで寝泊まるする人がでた。女性がボランティアで炊き出しを始め、夕食を振る舞った。

 私のアパートから少し離れたところには、自衛隊が仮設の風呂サービスをやってくれるところもあった。

 私たちはこうやって助け合いながら暮らしを再建していった。

 私の場合、本当にそれを支えてくれたのは大阪のゲイ友、そして、彼から連絡を受けて駆けつけてくれた地元のゲイ青年だった。この二人にはいくら感謝してもしきれないものを感じている。


aqua |MAIL

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