2024年12月04日(水)
午後から、母の入院している病院に行ってきました。 10日ほど前に救急車で運ばれて、生死をさまよいましたが、なんとか生き残りました。
「早くて、命、あと数時間。これは、大変」
当直の中国人の医師からたどたどしい日本語で告げられました。 最初は、「この人、大げさだな」と話を聞いていましたが、ストレッチャーに寝かされ酸素マスクをしている母の土気色の顔を見て、ショックを隠せませんでした。
会わせたい人がいるなら呼ぶように言われ、母の兄弟姉妹に連絡を取りました。 山登りに行っていた長男を夫が迎えに行きました。 次男坊は最初から私に付き添ってくれていました。
母の体調がおかしくなったこの5月から。 何度も救急搬送されましたが、とくに何も見つからず。 母も自ら救急車を何度も呼ぶため、119の常習犯のような扱いになり、入院もできず返されることがたびたびありました。
自宅での生活が困難になり、ショートステイを利用して入院できる病院を探していたさなかに、急変しました。 ショートステイ先の看護師さんが、「いつもと違う病院に搬送しましょう」と言ってくれて、今に至ります。
病院に4日間ほど泊まり込みで付き添いをしました。 その間に、命の危機は脱しましたが、みるみる認知症がすすみ、別人のようになってしまいました……。
今日、面会した母も「かつての私の母」ではありませんでした。 でも、もう少し病状が回復すれば、かつての母に戻ってくれるのでしょうか。 家族としての勝手な期待です。
「暗くなる前に、早く帰り」
面会に行くと、母はいつもそう言います。 母は、どんな状態になっても、「母親」なんだな、と思えるのです。
おやすみ。
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