僕らが旅に出る理由
DiaryINDEX|back|next
◆続・10年以上前に書きましたシリーズ◆
--------
大学生の頃、新幹線の車内販売のアルバイトをしたことがある。 当時はチーム制で、チーフと社員のペアの下にアルバイトが1〜2人、合計3〜4人で乗車していた。今でもそうだと思う。ただ私がアルバイトしていた当時は、車内販売員のことをパーサーと呼んでなんちゃってスチュワーデスのようなおしゃれな格好をさせる風潮はまだなかった。 だっさい水色のエプロンをつけて、その下は「白っぽいシャツ」と「黒っぽいスカート」なら何でもよくて、みんなエプロンのポケットをお釣り用の小銭入れにして、じゃらじゃら言わせながらワゴンを押していた。
初アルバイトの日、私と一緒になったのは高卒で社員として働いていたA子だった。 ぽっちゃりして色黒で、未成年でタバコをプカプカすうような女の子だったが、動作は機敏で無駄がなかった。A子は私に、 「あんた最初に本川さんなんてついてへんな」 と言った。 本川さんとは、A子のチーフをしている女性社員のことである。小柄で痩せていて、年齢は40代くらいだろうか。くりっとした小さな目と、細かく生えた茶色の髪を短く刈り込んでいる様子はサルの子供を思わせた。 「なんでついてないの」 「チーフさんの中でも最悪や。めちゃめちゃ働かされるで。休み無しや」 A子はエプロンのポケットに手を突っ込んで、しきりにぼやいた。 本川さんがやってきた。化粧っけのない顔は何歳にも見える。特に愛想よくもなかった。私がお辞儀をすると、無表情で頷いた。 私たちはこだまに乗り込んだ。 確かに休憩もほとんどなく働かされた。ワゴンを押しながら全車両を往復し続けた。 何往復目かに、途中のデッキでズル休みをしているA子を見つけた。A子は悪びれる風もなく、 「あんた最初から飛ばしすぎたらあかんで。こういうのは適当に流しとかんと」 と逆に年上の私に説教するのだった。
私はそれからもしばしば本川さんのチームに入った。妙にA子と気が合ったからでもあるし、本川さんも嫌いではなかった。 A子は不思議がった。 「あんた変わっとるな。うちのチーフさんとなんか誰も乗りたがらへんねんで」 「そうかな。本川さんて結構いい人だと思うけど」 「ええ人かいなあんなん。仕事のムシやんか。あの年で独身なんてワビしいわ。ああはなりとうないな、絶対」 「本川さん独身なんだ」 「決まっとるやんか、ダンナがおったらこんなとこおるかいな。もう働いて金貯めるくらいしか楽しみないねんで。ツボか何かに小銭貯めて夜中に数えとるんちゃうか」 A子は本川さんのことになると悪口のタネが尽きなかったが、それでも本川さんをよくサポートしていた。重い荷物を運ぼうとしているのに気付いて助けに行ったりするのはボンヤリしている私よりずっと早かった。
ある時、私は更衣室で財布を盗まれた。 仕事と環境に慣れて、油断し始めた頃だった。 その時乗り合わせたチームの女の子たちが心配して一緒に探してくれたが見つからなかった。私はすっかりうろたえてしまった。 そこへ本川さんがやってきた。その日は私は本川さんのチームではなかったのだが、私の様子が変なのに気付いて本川さんのほうから話しかけてきたので、事の顛末を話した。 本川さんはタバコに灯を点けながらふんふんと聞いて、 「うちの社員の子らが盗むとも思われへんけどなぁ。更衣室ということは、内部のもんでしかないわな。ま、災難やったな」 と淡々と言った。私はちょっと拍子抜けして、それまでのショックが軽く薄れたほどだった。 「ところで、帰りの電車代くらいはあるん」 「イエ、まったく」 と私が答えると、 「そう。ほんならこれとりあえず」 本川さんは財布から五千円を取り出して私にくれた。 私は建前にも辞退することなく飛びついてしまった。 「あの、ありがとうございます」 もっとうまいお礼の言葉が言いたかったが、見つからなかった。 「うん」 本川さんはいつ返せとも言わず、更衣室の奥へ消えて行った。 私は次のアルバイトが入った時に、本川さんのチームを選んで乗り、五千円を返した。その時も本川さんは「ああ、うん」と言っただけだった。
ある日、いつ知り合ったものか、車掌の一人と恋に落ちたA子が仕事を辞めると言い出した。 本川さんはその日は敢えてA子を働かせず、ビュフェで二人で窓の景色を見ながら長い間話し合っていた。 私は、普段休憩所になっているキッチン脇の狭い倉庫の扉を薄く開けてそれを見た。食べていたサンドイッチを終わらせて、すぐにワゴンを押して客車へ行った。 最終車両から折り返してビュフェに戻る途中、おみやげを売り歩くA子に会った。 「やめるの」 「ううん。もう少しやってみることにしたわ。まあ、しゃあないな」 A子は照れ隠しに笑った。
東京に着いたら夜だった。品川の宿舎に向かいながら、A子が聞いた。 「チーフさんて大阪〜東京合計何往復くらいしたはるんですか」 「星の数ほどでしょう」 私は思わず言った。とたんに反省した。嫌味に取られやしないかと思ったのだ。前を歩いていた本川さんは振り返りもせず、 「それ以上ちゃうかな」 と答えた。まるで、なんでもないことのように。
宿舎は品川駅から少し離れた場所にあった。 疲れと、ほかに話題もないことから、私たちはしばらく黙々と歩いた。 本川さんの言葉を反芻しながら、私は夜空を仰いだ。地上が明るすぎて、星は見えなかった。
|