僕らが旅に出る理由
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三原順が「Die Energie 5.2☆11.8」という作品の中で、 「オレは加害者でいい」 という言葉を登場人物に言わせている。
三原順がそういう人物像を描きたがった気持ちというのはすごく分かって、世の中にはあまりにも被害者があふれている。
理解してくれない夫に悩む妻、理解してくれない妻にうんざりしてる夫。 横暴な上司に苦しめられる部下、わがままな友人に迷惑をかけられてる人、悪意のあるご近所に困っている人。 大国に搾取される弱国、大企業に振り回される零細企業、政府に欺かれる人民。
理解してくれない夫は横暴な上司のせいだといい、横暴な上司はライバルの大企業のせいだといい、企業は政府のせいだといい、政府は政府同士で非難し合う。
では、ほんとの加害者はどこにいるんだろう? そんなに被害者がいて、加害者の数は間に合うんだろうか?
誰か一人くらい、「オレは加害者だ」という人がいなきゃ、釣り合わない、というくらい、この世は矛盾が多いのだと思う。
なぜそんなに被害者の声が多いのか。被害者になれば一つだけ、楽なことがある。 自分を責めなくてもいい、ということだ。 ひどいのは他人であり、世間であって、自分は悪くない。 少なくとも、他人や世間が悪いほどには、自分は悪くないと思える。
ああ、でも。それは言ってはいけない。
私は結局、加害者側の人間になってしまって、そのせいでよけいにそう思うのかもしれないが、加害者として気をつけなければならないのは、決して自己弁護してはいけないということだ。
世の中で被害者と呼ばれる人が現れるたび、わけもなく苛立ち、彼らの弱さや不甲斐なさを責めてみたい気にかられるが、それはあくまで封印しなければならないのだと思う。加害者というだけで十分に悪いのだが、それでも、せめても意地を持ちたいなら。
私も、いい。 加害者で。
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