僕らが旅に出る理由
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2008年12月03日(水) |
My Only London - バスのある生活 |
ロンドンの赤い二階建てバスはあまりに有名だ。 世界各都市のイラストなどでロンドンを表わす時は、このバスと衛兵さえ描いておけば事足りる。 衛兵はバッキンガム宮殿にでも行かないことには普段滅多にお目にかかれるものではないが、バスはまさに市民の足となってロンドン中を走る。
ロンドンには地上を走る鉄道があまりない。ないことはないが、主要な役割を果たしていない。 主役は何と言ってもバスだ。地下鉄も発達しているが、ちょこまかと動き回りたいならバスの方が断然使い勝手がいい。 古くは車掌が乗り合わせ、体の前にぶら下げた鉄の箱(立方体)からチキチキと切符を切ってくれていたが、ワンマン化してから乗車時ドライバーに支払う形になり、その後オイスターカードというプリペイド式電子カードが導入された。 カードが導入されてしばらくすると、現金での運賃支払いが不可能になった。 オイスターカードを持ち合わせていなかったらどうなるかという話なのだが、その場合は乗る前に停留所で券売機から買う。 この券売機が子供用大人用、1回乗車用と一日乗車用で4つくらいしかボタンがないのだが、それなりにかさばる装置だ。 これがロンドンに無数にある停留所のほぼ全部に設置されたときは、ばか正直に過ぎて効率がいいんだか悪いんだか、微妙に悪い気がする、と思ったりした。 そして人種雑多のロンドンで、そういう新しい習慣をどう定着させるのだろうと興味を持った。 私が見る限り、バスの車内で「今後現金受け付けません」というような告知は出なかった。 観光客はひっきりなしにやってくるし、英語を理解しない人も多いのだから、かなり派手なキャンペーンが必要かと思ったのだが、何もなかった。 それはただ強引に行われた。 現金の受け取りはとにかく拒否。 停留所の券売機を指差し、乗客を降ろす。 誰もが日本人のように従順ではない。ここまでの時点でも、だいたいは言い争いになっている。 それでようやく乗客がしぶしぶバスを降り、切符を買うまで待つかと思いきや、運転手はさっさとバスを出してしまう。 停留所に取り残された人が怒り狂って罵り言葉を浴びせるのを背後に聞きながらバスに揺られてゆくのも、いつしか牧歌的な風景になった。(私自身がくらった時は呆然としたが)
一人のバス運転手が一日にいくつの停留所に止まるのか分からないが、相当な数であることは間違いないだろう。 それでしょっちゅうこんな言い争いをしていたら、私ならノイローゼになるなとよく思った。 だから運転手には無愛想な人が多かった。私はバスに乗る時はいつも、運転手の顔を見て挨拶するようにしていたが、たいていは目も合わせてもらえなかった。だけど無理もないと思った。そうでもしないと、自分の心が守れないのだろう。それでも、いつかこちらを見て軽くうなずいてくれる誰かを探すために、私は挨拶を続けていた。そういう人たちも、少しはいた。
ところで、私は交通の手段としてバスを使う以外に、ただ意味もなく乗っていることも多かった。 日本にいるときからそうだった。必要もないのにバスに乗った。それもできるだけ長い路線がよかった。 そういう時は、頭を休めてぼーっとしたい時だった。ぼーっとしたい時、私は、周囲の風景が動いているほうがいい。すべて止まってシンとしてる部屋では、かえってムリだ。そして車窓の風景も新幹線のように速くてはダメで、また徒歩ではまどろっこしい。市街地を走る電車のように車両の中を向いて座るシートでは窓の外を見づらく、長く乗ると電車代もかかる。あらゆる点で、バスが私には一番良いのだ。 それはロンドンでも同じで、私はしょっちゅうバスに乗った。このバスの終点はいったいどんな街だろう、と思って最果てまで行く事もあった。 バスの終着点なんて、だいたいはさびれた町外れだ。見るべきものが特にあるわけではない。ごく普通に生活している人の姿があるだけだった。それもどちらかと言えば豊かでない人々の営みだった。活気に欠け、むしろ鈍い閉塞感が漂っているようなことが多かった。 最初はそれにがっかりしたが、何度か訪れるうちに懐かしみをおぼえるようになった。興奮した観光客の群れに身を置くより数倍私を落ち着かせ、本来の自分に戻してくれるように感じた。 結局、何の変哲もない、ゴミの目立つ商店街で、ありきたりなチャイニーズフードを買って食べるのが習慣みたいになった。こういう場所に住む人は何を見て暮らすのだろうと思って、道行く人の視線のゆくえを追ったりした。 そしてまた、いつ来るかも判然としないバスを待ち、何時に帰れるという見当も立てず家に帰る。 それが何よりリラックスする時間の過ごし方だった。
バスは、そんな私を飽きることなくせっせと運んでくれた、有り難い乗り物だった。どうしようもなく気が滅入る時も、ゆっくり泣きたい時も、バスは一番居心地のいい場所だった。
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