僕らが旅に出る理由
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あまりに仕事がひまなので、青空文庫で「安吾巷談」を読んでいて、某M事件を知った。 検索逃れのため実名は載せませんが、日本の女性政治家第一号のうちの一人という女性の話で、当時、ほかの政党の妻子ある男性議員と恋におち、駆け落ちしたという事件だそうだ。その駆け落ちの一部始終を物好きな某新聞が事細かに書きたてたそうで、安吾は必要以上に小道具に凝りまくっているのが鼻についてしょうがない、というようなことを言ってるのだが、当時の人々は相当このスキャンダルに熱狂したらしい。 驚きなのはこの女性が今現在も現役で様々な草の根の政治活動をしていることで、髪をキレイに結って着物を着て、インタビューなんかに答えているのを見かけたが、こういうのを見ると、年月というのはどんなイカサマも確からしく見せていくものだな、と思ってしまう。 (イカサマっていうのは言い過ぎだけど) 当時のことを知っている人が減っていけば、後は正直、生き延びた者勝ちみたいな部分があるし、自分自身だって量が増えた分圧縮された記憶の中で、すっかり自分にいいように書き換えてしまってるかも知れないのだ。
私はそんな風になりたくないなぁと思う。 そして、時間が免罪符、のように時々考えそうになる自分を、引き戻さなければならない。
世間はいつでも恋人達の味方、と安吾は意地悪く(私から見れば意地悪く)書いているのだが、私はそこまであくどくもなれず、中途半端に「普通の人」であろうとする。それでいて言う事だけは立派だったりするので、恥ずかしいことだと思う。
一日や二日謙虚でいることは可能だが、一生を謙虚であり続けることは難しい。 私はある瞬間から自分が卑怯者であると分かったが、きっとその瞬間の前と後で自分自身が変わっているわけではなく、私はもともと、卑怯者だったのだろう。私は自分の孤独の中で、あの時公正に振る舞えなかった自分を飼い続けなければならないと思う。
どうして私たちは全てのことを覚えておけないのだろう。都合の悪いことを忘れてしまいたがる習性が、とても嫌だ。
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