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2008年06月02日(月) ぼくらがオザケンを偏愛する理由

安藤裕子がカヴァーした小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」を聴いてみた。




う〜む、やっぱり全然違うなぁ。
コード(和声)を細かい部分で変えてみたり、
ドラムの音を際立たせたり、オーケストラ・アレンジに新たな工夫を加えてはいるんだけど、
どうしてもオリジナルの感動のレベルには遠く及ばないのだ。
解釈としての頑張りは評価できても、肝心のボーカルに
訴求力が足りなすぎると思う。
断わっておくけど、安藤裕子のボーカルが
非力だと言ってるわけじゃない。一般的な見方からすれば
小沢健二のボーカルの方がはるかに非力だろうし。
僕が言ってるのは、そういう声量とか音程の確かさといった部分じゃなく、
単純に「あの歌詞に対するあの声」という意味での訴求力。
つまりそこが、小沢健二を生涯のフェイヴァリットと出来るかどうかの
分かれ道になるんだよね。




歌詞に登場する若者像をリアルに表現したいのであれば、
やはり安藤裕子の、懸命に安藤裕子であろうとする歌唱は
その本質から遠ざかっていくものだと感じられる。
「せつなくてせつなくて」という歌詞に込められた情けないほど
の慕情、あの部分でバレてしまうのだ。
この曲を偏愛する者としては、どうしてもこだわりたい部分ではあるな。
桜井和寿がRCサクセションの「スローバラード」のカヴァーに失敗したように、
一見ひと懐っこそうに見える楽曲も実はシンガーの個性と密接に
結びついていたりするもので。
大好きだからといって、簡単にカヴァーすればいいというものではない。
最後に付け足すようで申し訳ないけど、安藤裕子のニュー・アルバム、
オザケンのカヴァー以外は、おおむね良い出来だと思うよ。


アータン三宅 |MAIL

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