蜂蜜ロジック。
七瀬愁



 無題3-11

心拍数が上がる。

シュウスケはいつものように涼しい顔をしていて、リードとかいう竹の欠片みたいな小さな板をクラリネットに付けていた。

あたしに気付いたらしく、視線だけ上げてこちらを見る。それに手を上げようとした時、シュウスケの視線に気付いたらしいナミコ先輩が、こちらを振り返った。

「こんにちは」

「…こ、んにちは」

ナミコ先輩を見るのは、久しぶりだと思う。その久々に見る先輩は、短かった髪が伸びて、随分と綺麗になっていた。つきん、と胸が痛む。あたしがナミコ先輩みたいになるのは、絶対無理だってわかってる。わかってるから、痛んだ。

クラリネットの音が響く。一度目は短く。二度目は長く。そんなに気負いこんで息を吹き込んでいるようには見えないけれど、シュウスケの吹くクラリネットはすんなりと綺麗な音を出してしまう。


「マヒロ、こっち」

唇を離したシュウスケが、あたしを手招く。呼ぶなんて珍しい。いつもあたしが勝手に押しかけて、勝手にくっついていたから。

同じ事を思ったのか、ナミコ先輩が驚いたような顔をする。それからシュウスケを振り向いたけれど、先輩に軽く会釈すると

「俺、あっちで練習してきます」

そう言ってあたしの手を掴むと、階段を上り始める。

「え、シュウスケ、いいの?」

あたしの手首を掴む掌は、冷たくて。上っていく背中は、無言しか返さない。個別練習がまだ続くとは言っていたけれど、勝手に別行動して後から怒られたりしないのだろうか。

あちこちから聞こえる管楽器の音は、反響して上の階にも充分響いた。

着くと埃っぽい廊下の壁に背を預けて、シュウスケがクラリネットを咥える。

「ね、ねえ、いいの? パートの子達と一緒にいないで。それにナミコ――」

先輩、と言いかけたところで、不意にシュウスケがあたしの口を押さえた。

「いいんだよ。どの階でやろうと旧校舎内は今んとこ使用許可出てるから」

掌がそっと離れていく。

「そ、なの? でも」

あたしが聞きたいのは。それだけじゃなくて。

先輩の笑った顔を思い出す。とてもよく――シュウスケに似合う人。さっき二人を見た時に、本当にそう思った。やっぱりあたしなんか適わない人。想い続ける、なんて決心したくせに。

姿を見れば揺らいでしまう。

「日曜日」

唐突にシュウスケが口を開いた。

「え?」

「日曜日、空けとけよ」

「シュウ――」

聞いた事のない旋律が廊下に響く。さっさと言うだけ言ってしまうと、もうあたしの言う事なんて聞く様子もなくて。ただただ、その音を聴いていた。

2008年06月13日(金)
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