蜂蜜ロジック。
七瀬愁



 無題(2)

「えー。シュウスケすっご上手なんだよ、見てあげればいいのに」
「へえ、そーなの。家でも練習しないからさぁ、あいつ。聴いたことがないんだよねえ」
「じゃあ行こうよ。今日定休日なんだよね?」

時間だって間に合うし、とホースを持たないほうの腕を掴めば、ハルちゃんは目を少し大きくして驚いたようにあたしを見て。
それから、ふわっと笑った。

「いや、やっぱイイ」
「どうして?」

やんわりと腕を離してそう言ってから、またシャワーを掛け始める。
薄く色付いた花についた雫が、雨上がりのようで綺麗だった。
緩く波がかかっていて、ハルちゃんの髪に似ている、と思った。

「シュウはね、ああ見えて緊張しちゃうタイプだから。俺なんか見ちゃうと余計そうなりそうでしょ」

目元が優しくなる。こういう顔をすると、シュウスケとどことなく似ている。血が繋がっているんだから当たり前なんだろうけれど、ここの四人兄弟は普段から似ているように思っていなかったから、少し驚いてしまった。

「意外に考えてるんだねー」
「弟想いでしょ」
「うん、そう思った」

その通りだ。シュウスケはとても落ち着いて見えるけど、とても神経が、細いところがあるから。

「まあ、ただ単に高校生にもなった弟の応援がメンドーだってのもあるのよねー」
「……なにそれ。結局どっちなの?」
「秘密」

薄い唇から、八重歯がちらりと覗く。
さすがお兄ちゃん、と思った気持ちは、しゅるしゅると萎んでいった。

「じゃあさ、今度でいいから行こ?」
「デートのお誘いだったらいつでも行くけどね」
「からかわないのー…」

水を止めて、悪戯っぽく笑うハルちゃんにむくれれば、「ごめんごめん。お詫びにイイモノあげるから、ちょっとだけ待ってて」とホースをあたしに手渡した。

代わりに水をやっておけ、ということらしい。片手で制して、家の中へ入っていく後姿を見送る。

お隣りの花壇は広く、綺麗に手入れがされている。花が好きだとかいう話は一度だって聞いたことがないけど、春夏秋冬の四季に合わせ名前も知らないような色々な花を、絶えず咲かせていた。


それらに水を降りかけている内に、ハルちゃんが戻って来た。

手の中には、わりと大きな紙袋が一つ。そのまま傍までやってくると、あたしの持っていたホースを取り上げ、がさりとその紙袋を手渡された。
袋の大きさのわりには、重くはない。

「なに? これ」
「紅茶のスコーン。うまく出来るようになったら店でも出してみようと思って。その練習台」

袋の中には、フィルムで綺麗に包装された焼き菓子。買ってきたものと同じくらい、上手に出来ている。いい香りがした。

「こんな朝から作ったの?」

純粋に驚いた。

「朝弱くないからね、俺。それなりに入れといたからシュウスケにも渡しといてよ、お兄ちゃんからの差し入れだって」
「うん、渡しとく」

出したままだった水を止める。もう一度、袋の中を覗く。製菓どころか、料理の出来ないあたしとは、根本的に出来が違うらしい。

「あ、ねえ。これってバラ?」

さっきも目に入った、薄い桃色と白の混じり合う花を指差してみる。

「これ? ああうん、そう、バラね。フロリバンダローズ」
「フロリバンダローズ…?」
「それのマチルダっって花。綺麗でしょ、一昨年貰ってやっと花が咲いたんだよねー」
「ふうん。ハルちゃんて、お花好きなの?」
「別に好きじゃないね、何せ手入れが大変なのよ、花って」

じゃあ何でこんなたくさん植えてるのかとも思ったけど、ふと見た時計の針に余裕がないことを知らされ、それどころじゃなくなった。時間を潰し過ぎたらしい。

「時間?」
「う、うん。じゃあ行って来る」
「行ってらっしゃーい」

ひらひらと手を振るハルちゃんに振り返して、日に照らされ始めたアスファルトの上を駅に向かって走った。


2007年12月07日(金)
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