舌の色はピンク
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2025年02月24日(月) 義母気管支炎、妻と言い合い

6時に赤子のげっぷ出し、おむつ替えがあり、寝なおして、
改めて8時起床。晴れ。
大寝坊だが他の三人も全員眠りこけている。
ほどなくして娘が目を覚まし、一緒に居間へ。
朝の機嫌は悪く、麻婆豆腐丼もそんなには食べず。
ぐずぐずで抱っこを要求し、テレビを見る以外許してくれない。
9時くらいにようやく薬を飲ませ終えて、ちょっとすると調子が出始めたようで、
明るい声をあげながら遊び始めてくれた。
妻は寝かせておいたが、とうとう10時まで寝ていた。
寝室へ入ってみると開口一番、おかあさんが気管支炎だという。
したがって、明後日に予定していた赤子を面倒見てもらう件についてはキャンセルとなる。
するとおとうさんと話し合いをしにいく件に大いに影響が出てくる…が、まずは昼飯を食べてからということにした。
とりあえず僕は娘を着替えさせて、一緒にスーパーへ。
OKでどっさり買い込んで、さらに娘へのサービスで警察署にも寄ってパトカーを見せてから帰った。
昼飯はトロ鯖の照り焼きとシューマイ。昨日の豚汁。ご飯。
いずれも美味しく、娘もまあまあ食べてくれた。妻は残していた。
後片付けして赤子沐浴させて授乳を待って洗濯物第二ラウンド干して、
全員で図書館まで散歩しに行くことに。
娘は機嫌よかったが、ゲホゲホし続けていて不穏だった。
図書館についたあたりで咳は落ち着いて、相変わらず真っ先にアンパンマン棚へ直行。
赤子は泣き出してしまったから妻はベビーカー押してそそくさと退散。
僕と娘もそれに少し遅れて退館して帰路へ。
本を三冊手で持ちながら娘を抱っこして帰るのはちょっとした苦労だった。
13時半ごろ帰宅。
手洗いだけさせて、オムツ替えしたらあとはもうお布団にごろんとして、娘が寝付くのを待った。
足癖の悪さで散々僕の頭を蹴るなど十数分悪さしてから次第に眠くなっていったようで、
14時くらいには寝入ってくれた。
僕も15分くらいは寝た。
家事雑事やっつけてから30分ほど死月して、寝室で休んでいる妻の横で赤子を抱っこするなどもして、
日記を書き、15時半前にまた娘の横で休息。
娘は10分ほどで目を覚まして、やはり僕の全身を延々蹴っては笑っていた。
まあ楽しんでるならいいか…とちょっと放っておいて、しばらくすると妻が居間に来たからそのタイミングで起きた。
娘はおやつのおかかおにぎりを食べやすく美味しいところだけ食べておしまいにして、
その後は楽しそうに遊んでいた。
でもういっそこの時間にやっつけちまうか、と酢豚を調理した。
妻は昨日に続き、今夜酒を飲みに行ってもいいだろうかと言ってきた。
ちょっと思案してみたが、明日朝は娘も起こされる格好となるだけに機嫌がどうなるかわからず、
さらに午後には妻は自己都合で友達とランチに行く。
夕方には小児科にかかり、夜には水曜日のための打ち合わせをしなくてはならない。
そうしたてんやわんやな一日を控えているといまいちわかってなさそうで、
もし今夜の酒飲みを承知すると明日その分の負担が重くのしかかってくるわけで、
いややめておくべしという反応を示した。
16時半すぎに娘へ入浴を呼びかけると承知してくれて、湯舟は長引いたが、風呂を出た後は穏便で、
アンパンマンを見せながらにはなったものの保湿着替えも無事に完了。
妻の入浴中も穏やかに過ごしてくれた。
幸い赤子も寝ていたから楽だった。
妻が風呂を出てから娘を構いつつ、
あんまりうまくいきすぎていつもなら忙しいこの時間帯にやることがなくなってしまったなあとぼやいてみると、
じゃあ私寝室にこもってきていい?という。
その言いぐさはふざけていやがると思い、難色を示した。
今朝だって10時まで寝ていたわけだし、と付け加えたところ、
何かをするのに貸し借りが発生するのが嫌だ…という発言が返ってきた。
これには…なかなかすべてを言葉にはしづらいが、ものすごい不快感があった。
まず、その純粋なる言い分は、とてもわかるという面がある。
こちらにとっては不理解にあたるものではないのだ。
だからこそ不快だった。
ましてや、その観念はこちら側にこそあっていいものだ。
いま家事育児の負担の多くが僕側に占められている。
そんななかで、妻の自由時間、自己都合による遊びは僕よりずっと多い。
貸し借りの観念があるからまだそれは成立しているといえるのだ。
それがなければ到底許されないことばかりを妻はしている。
だが、これがどうにも伝わらない。
伝えようにも表面的なところばかりを撫でられて、理解させられない。
するとこちらとしてはますますストレスが募る。
すさまじい失望に陥って、子供たちの前であるのにすべてのやる気をなくしてしまった。
せっかく美味しい酢豚をつくったのに、食事前にこれだ。
娘はアンパンマンパンをしつこく要求してきて、約束より多く食べてから、
ご飯いらなーいといって食卓にもつかない。
酢豚は美味しくできていたが食卓では雑談放言をする気にもなれず無感動な咀嚼が続く。
娘は僕の膝上で飯を半分ほど食べはしたが途中でご馳走様してしまった。
妻もご飯を残し、僕は残飯をつまんでいった。
食後、いつもならすぐに食器を片付けて洗い物を始めるところ、どうにも動けない。
10分ほど黙って座り込んでいた。
よほど、全部投げ出して家を出ていってやろうと思った。
いくつかの衝動が寸前までかけめぐった。
そうしてまだ穏便な衝動に任せ、娘と遊んでいる妻に、
明日朝一人で娘を起こして飯を用意して食わせて着替えさせて保育園に登園させてってくれないかなあ、
と呼びかけた。
いいよ、と応答。
それからまた数分かけて、どうにか気を落ち着けて、
あえて柔らかい声で、自分の食器くらいは片づけるようした方がいいよ、と呼びかけた。
全部やる、といって、いかにも拗ねた意地で食器洗いを始めようとするところを制して、
たまには二人でやろうかと提案した。
僕が洗うから君は横で拭いて、と指示した。
さいわい子どもたちはおとなしかったし、4分ほど無言でその作業をした。
たまにはこういうのもいいね、と言ってきりあげた。
ちょっと気が落ちついた。
19時半まで娘を構って、妻が歯磨きさせて、それから娘を連れて寝室へ。
昨日に続き天井に蓄光シールが増えている。
娘はそれを見て楽しそうにして、うまいこと20時過ぎに寝入ってくれた。
僕もしばらくしてから21時まで寝た。
居間に戻ると妻は赤子用に買い足した監視モニターの用意をしていた。
赤子は泣いていたから僕はオムツを替えて、それから抱っこして落ち着かせた。
21時半過ぎに妻は授乳を始め、終わってから右へ左へ明日の用意らしいことを済ませていって、
22時過ぎに、もうやることないから寝室行っていいかなと言ってきた。
私やるべきこともうやっちゃいましたから、というような拗ねた意地の態度。
いやまだあるだろう、とも言いかけたがいいよと伝えた。
僕はそれから残った家事を片付けつつ、死月もプレイした。
23時半まで専念できてよかった。
掃除機かけたり洗い物したり、そして、とうとう昨日初めて日曜夜のシンク掃除を失念してしまったので、
一日遅れではあるが綺麗にして、0時ピッタリに寝室へ。
妻は授乳中で、終えてから民話読むかと訊くと読んでもらえるならという返答だったから、10分ほど読み聞かせして、0時半ごろ就寝。


れどれ |MAIL