舌の色はピンク
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2024年08月24日(土) |
盆踊り諦め、詩人の訃報、娘の一歳記念アルバム |
5時すぎ起床。晴れ。 娘はよく眠っているよう見えた。 6時前にのそのそ起き出して居間へ。 先に洗濯物やっつけておこうと洗濯機を回し、 ゴミ捨てのため外へ出てみると電線にインコが留まっていた。 小児科の予約は無事とれた。 雑多な家事をやっつけ、洗濯物を干し、 7時前に寝室へ伺ってみると娘が静かに目を覚ましていたからベッドから降ろした。 さっそく、トイレトイレとのたまうからトイレへ連れていき、 トイレットペーパーを数枚引き千切ると満足し、 僕は着替えを促して、保湿を済ませ、体温も計らせてもらった。 37.3度。 高熱はもう脱したといえるのだろうか、油断はできないがほっとした。 経口補水液をやるとおかわりをねだられた。 まだ一気に飲ませるわけにはいかないからと、少量ずつをなるべく時間をあけてあげた。 しばらくあやしていたが機嫌はとても良い。 元気だ。 完全にいつも通りだった。 8時に妻を起こし、元気ぶりを確認してもらい、僕は8時半を前にOKへ。 帰宅後はすぐ準備をして、今度は娘を連れて小児科へ。 医師の見立てでは、軽度の熱性けいれんだったのではないかということに。 また、発熱してるなら湯舟に入らせない方がいいとの戒めをいただいた。 解熱剤だけ改めて処方してもらった。 薬局含め滞在時間30分ほどで帰宅。 妻に首尾を伝え、とりあえず今日一日は安静に過ごすことに。 もともとは住宅展示場やら近所の小学校でやる盆踊りやらの予定があったところだが、 娘の体調には代えがたい。 僕は娘を妻に預けてから西荻へ自転車を走らせて、 カルディと肉屋に寄って10時半帰宅。 で昼飯にはそうめんをつくった。 娘は半分ちょっと食べたからよし。 食後も元気そうに遊んでいた。 12時を前に寝室へ三人で行ったが娘はベビーベッドに入りたがらず、 3人でベッドに横たわっていたが、結局僕が娘を居間に連れ出して、 それからはずっと居間で過ごしていた。 娘はトータル1時間ほどは寝てくれたろうか。 僕は寝るに眠れず、また娘のそばを離れると泣かれてしまうから、 すぐ横でただじっとしていた。 お前の彼女は二回で茹で死に、が面白くてたすかった。 この時間妻は眠れていたようだ。 2時間は眠りすぎだが、休めたならそれはそれでいい。
15時を前に起き出してきた妻に娘を任せて 僕は突貫でサツマイモのポタージュを作った。 これに加えてスイカを娘にはやり、どちらも平らげてくれた。 僕はたまたま、詩人のchoriの訃報をTwitter上で目にしていた。 妻が若い頃面識があったという人で、その名を度々聞いてきていたが、 もし妻がたまたま目にすることがなければ、彼の死を遅れて知ることとなり、 それは遺憾だろうと、目にしてもらうことにした。 Twitter上で彼のパートナーにあたり詩人の名を検索してもらった。 妻は悲しいというより、呆然となるという感想のようだった。 僕は図書館へ。 ついでに西友も寄る。 30分もかからないが、妻は、 なにぶん呆然としているから娘を監督するにあたって不安だし、 できれば30分以内には帰ってきてくれと念押し。 僕は16時に帰宅した。 妻はできたら散歩してきたいという。 弔いの意を尊重するため僕は妻を送り出し、 それから1時間半ほど娘を相手していた。 途中で風呂に入った。 昨日の今日だからと湯舟には入れずにおいた。 18時を前に帰宅した妻を風呂に促し、なおも娘を相手しつつ、 僕は夕飯に中東風炊き込みご飯を作った。 19時に夕飯として食べたこれは実に美味かった。 だがパスマティ米であればもっと美味かったろう。 カルディで売り切れていたのが本当に残念だ。 食後、なおも上機嫌な娘をあやしてやり、 ただ眠たそうではあったから20時過ぎには切り上げて、 3人で寝室に。 ここでもベビーベッドに寝たがらない娘を僕らのベッドに横たわらせ、 妻は居間へ。 娘はしばらくすると寝入ったから20時40分ごろベビーベッドに移動させて、 僕も居間へ。 今日届いた娘の1歳記念アルバムを二人で見た。 チョー可愛い。
家事雑事済ませて30分だけ空いた時間で大戦国ランスやった。 あれよあれよと時間が溶ける。 わかってはいたのにこれやばいやつだな…
23時半寝支度、0時寝室、民話読み聞かせて0時半就寝。
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