舌の色はピンク
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| 2022年06月08日(水) |
子どもを個人扱いするロジック、桃鉄不健全、隠れる聖人 |
弱い雨。 5時前に起きてからはろくに眠れなかった。 やっぱ唾液出る。口からこぼれはしないけど。 胃腸にちょっと違和感もある。 健康診断は来週に控えている。
今日の昼は弁当なし。 朝が楽。 トーストを食べてからさらに、 昨日の余りである肉じゃがを温めて出した。 体があたたまる。
吉田修一読み始めてみた。 エンタメ系かと思ってたら芥川賞受賞作家なのか… 地の文はまだしもセリフが幼稚で 知らなきゃわかんないな。
ふと思ったこと。 子どもを オトナと断絶されたコドモ扱いせず 一個人として見なす… という ホラ先進的でしょうって意識が流行りだしてる。 流行ってというか、アメリカとヨーロッパの一部に もともと根付いてる文化を取り入れようという動きだが、 このテの動きにありがちな浅はかさが相変わらずある。 個人、という概念が 社会の隅々にまで徹底的に行き渡っている土壌があって ようやく果たされる美徳なのに、 うわべだけ真似たってね…。 というありふれた批判はもちろんのこと、 今日思ったのは、 子どもを子ども扱いしないでいる思想と、 親が親である意識から免れる思想の相性への恐怖。 ウワーこわ。 「子どもは子ども、私は私」 とかいって 自分に都合よく個人であろうとして 親の責務やら重みから逃げるという。
こうなってくるとパターナリズムも あながち非難しきれない。 あれは子どもを人格ある個人としてみなさず 頭ごなしに叱りつける教育態度ではあるが、 一方では親の尊厳を保つために なみなみならぬ努力をしてもいたわけだ。 自分であることを一部切り捨ててまでも リッパな親であろうとする。 親の背中、という言葉は今もう死につつあるけれど。
だからといって パターナリズムが全肯定されようはずもなし、 こういうところがイケナイじゃないかというような バカな批判がいくらでも立ち上がるんだろうけど そうじゃなくって どっちも全肯定されるもんじゃないですよっていう。
でもまあ実際都合よく使われがちだと思う。 (潜在的に)親の重責から逃れたい人が 子どもを人格あるいち個人として扱おうと 綺麗事のように言い出すのは。
割拠、終わりが見えてきた。 一ヵ月以内に締められるかは…努力次第。
夕飯はお茶漬けにした。 なんか寒いし、 昼はラーメンだったからちょっと健康を気遣って。 妻にはパスタをやった。 冷凍のを。 作ってもよかったけど 冷凍食品が買ったきり余りがちなんだよな。
妻は桃鉄をして遊んでいる。 早くも資産は1兆円近かった。 台風で何百億円の被害が出たりするらしい。 でも別にヘッチャラという。 なんだか不健全な気もする。
ちょっと早めに、0時半前に寝室へ。 民話を読み聞かせて、 さらに即興のお話も聞かせた。 お題は聖人。 …三十六人の聖人が各地に隠れ住んでいる。 人に見つかる度に奇跡を披露して 願いを叶えてやってるがその度ごとに居を移している。 あるときたまたま、三十六人の聖人が それぞれ近しい場所に揃って住んでいる状況があった。 偶然そうなっただけで、それぞれはその事実を知らない。 そこへ通りがかった少年が、 何の気なしにいたずらごころで、 聖人みいつけたと叫んだ。 すると、ヤレヤレ見つかってしまったかと、 三十六人の爺さんがぞろぞろ姿を現す。 少年は怖くなって逃げ出した。 ところが奇跡の手がニュルニュル七十二本伸びてきて、 少年の身をがっしり抑えてひっ捕らえた。 少年は震えるばかりだが、爺さんたちは 久しぶりだのうとか、 こんなところに皆おったかとか、 最後にあったときにはどうこうとか、 内輪話に盛り上がっている。 小一時間ほどしてようやく少年の方に話題が移った。 なにか悩みはあるか、叶えて欲しい願いはあるかと。 「家に帰りたいです」 ははあ、迷子かそれともなにか家庭に問題でもあるのか… と聖人たちは余計な気を働かす。 少年はただただこの場を離れたかったが まさかそう言えようはずもない。 聖人たちは奇跡の目で少年の家とそこまでの地図を 土壁に投影して確認し、 強制テレパシーで彼の家族に呼びかけた。 お前さんの息子は預かっている、 まもなく三十六人で向かうからよろしくな。 なに、晩餐を用意しろなどとは言わぬ。 茶でも出してくれればそれでいい… 少年は口八丁手八丁で、 なんとか聖人たちを撒けないものかあれこれ試す。 近くにある友達の教会がどうのこうの。 じゃあ奇跡の聖人像を寄贈しようどうのこうの…。 ……。
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