舌の色はピンク
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晴れ。苛立つようなさむさ。 エアコンがろくに効かない。
妻は元気とは言い難いが、調子の崩れた様子もなく済んでいる。 義弟から連絡が入った。義父には知らせないと、話がまとまったようだ。
各位へ喪中はがきを送ろうか迷う。 まだ年賀状の用意はしておらず、 また12月初旬には間に合うから送るべきではある。 ただ、この喪中という風習については、 由緒正しい伝統とは言い難いいわば俗習であると なにかの本で読んだ。 そもそも日本の死生観は神道、儒教、仏教が入り組んでいる。 体系だった宗教観に律されているわけでもなく、 ただ「そういうものだから」と作法に従う例が多いだろう。 これはこれで、軽んずるべきではない礼儀ではある。 文化背景がどうあれ、弔意を示す意味で 祝賀の一切を謹慎するのも妥当だ。 一方で、悲しみが押し寄せるからこそ幸せな気分に浸りたい、 といういかにも現代人的感性も否定すべきではないと思う。 自分の立場でいえば、 ただでさえ精神の調子を崩しやすい妻がいる。 その妻が暗い感情に染めあげられているさなか、 友人たちから年賀状が送られてくる楽しみを 何もこちらから断つことはないだろうと思えるのだ。
古くは…といっても昭和においてすらまだ、 年賀の挨拶とは門戸を訪ねるものであって、 これを葉書で済ませるとは横着も甚だしく、 どうしても行かれない場合においてのみ 通用していたものらしい。 そりゃあそうだ、郵便物を配達するインフラが整って初めて、 年賀状という風習が成り立つのだ。 当然、神道にも儒教にも仏教にも、 本来的な取り決めなどあろうはずはない。 時代を経ていくごとに移動技術も発達して、 人々に都市型生活が定着して来た頃 ようやく年賀状文化が立ち現れてくる。
愛する家族がなくなった、 その悲しみに明け暮れるさなか、 脳天気に「おめでとう」などとやられたら 何がめでたいものかと憤る、 それ自体はしごく自然な感情だし、 避けられるなら避けるべきだろう。 ただそれは、あくまで受け取る人間側の心情が主体だ。 だから、喪に服したい人は服せばいいのだし、 いいや自分はおめでとうを受け取りたい、 と思った人は堂々と年賀の挨拶したらいいのだ。
“一律”が馬鹿げている。 “喪中とはそういうものだから”として 形ばかりを重んずる方が、 かえって伝統や風習の価値を貶めている。
以降は12月2日に振り返って記述したもの。 簡略化して記す。
勤務の昼休みを前に、通夜が今夜であり 告別式が明日と連絡が入る。 妻は今日発つことを決意。 自分も会社を急きょ早退。 各種引継ぎを済ませ、明日明後日の休みも取得。 急いで帰宅。 13時、弁当だけ平らげて支度。 洗濯。ホテルの予約。着替えの整理。 一通りを済ませて14時すぎに出発、東京駅へ。 カツサンドを購入。 新幹線で4時間。 小山田浩子を読んだ。 かつスマホで妻と、帯をギュっとねを読んだ。 19時過ぎに広島駅へ到着。 妻にトイレで着替えさせ、タクシーで斎場へ。 10分で着く。 ちょうど、義弟と義従弟がUVER EATSを受け取っていた。 一緒に控室へ案内され、親族と挨拶。 ご遺体の顔を見させてもらう。きれいな死に化粧。 遺影は僕ら夫婦の結婚式で撮影された写真。 義母、義弟はほがらかな様子。 UVERで届けられたお好み焼きをいただく。 各位の近況をちらほら。 妊娠の報告はとても喜ばれた。 お義祖父さんに伝えられてよかったが、 お義祖母さんに間に合わなかったのが悔やまれる。 あらためてご遺体に挨拶。 明るい声が思い出され、涙がにじんだ。 明日の予定を聞き、おいとますることとなった。 が外は雨。タクシーを呼んでもらった。 義祖父、義祖母とともに夜の街を10分。 ホテルに到着。なかなかこじゃれている。 チェックインは外国人…東南系の方が担当してくれたが 物腰丁寧で説明もわかりやすく、 こちらの質問にも親切に受け答えしてくれて 抜群の接客だった。妻も気に入っていた。 部屋もしゃれていた。減点要素が全然ない。 しばらく休んでから外出。雨はほとんど止んでいた。 すぐそこが繁華街。 というかピンク街。 夜の商売の人々と、ヌラヌラしたサラリーマンたちが闊歩。 途中で離脱。 コンビニでパンなどを購入して帰宿。 食べてシャワー浴びて荷物ちらかして漫画読んで入眠。
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