舌の色はピンク
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昨日に続いてやる気が出ない。 本は一冊読んだ。 アフターコロナの都市計画。 そりゃそうなるよねって内容が語られてる本。
天気はめちゃくちゃよくて 洗濯ものも干して気分は上々。 ミュークルドリーミーは これまでより子供向けになった気がする。 もともと子供向けなはずとはいえ あの高度なギャグの数々が子供にわかるのか疑問。
ローストビーフサンド作ろうとか にんにくを国産にしようとか ちょっと贅沢にスーパー堪能したら あっちゅーまに5000円いっとった。 贅沢こわ。
スーパー、コンビニ、ドラッグストアと 立て続けにレジで待たされ こんなことでイライラしたくないなあと思った。
自分の前で店員さんとお客さんとが ペチャクチャしゃべっていて 早くしろよという文句が一瞬頭によぎっちゃうとか。
買い物が、買い物だけを目的とした予定になってるから そう思えてくるのだ。 たとえば中東圏では売値をふっかけてくるという。 客はそれを値切る格好で交渉が始まる。 それで結局は適正価格に落ち着く。 じゃあ初めから適正価格で売れと言いたくなるのが合理主義。 しかし店主は言う。 「あなたとお話できたからそれでいいのだ」 ここには買い物が単なる金銭と品物の取引という目的にとどまるのでなく、 生活、生きる営みの一部となっている。 本来自分が体感する時間のすべては 生きる営みと一致しているはずで、 そこに無駄はあろうはずがない。 それを好き勝手に、生きる営みを生活のための目的別に切り刻んで、 一つ一つをタスクとしてこなそうとするから 時間がもったいないとか無駄にしたとか思えてくる。 都市化ってそういうことだ。 しっくり腑に落ちた。 自分が体感する時間のすべては 生きる営みと一致しているはずなのだ。
図書館で青木淳吾借りた。 あと、またコロナ後の都市計画についての本を。 野方図書館のおかげで都市計画まわりの本読むようになって 本当に収穫だったとつくづく思う。 いずれなんらかのお礼をしたいとたくらんでいるくらいだ。 でも図書館員も公務員だから何一つ謝礼は受け取れないんだろう。 それでも何らかの礼はできると思うけど。
昨日見た 酔いどれ天使について妻とちょっと話した。 その中で思ったこと。 三船演ずる松永にとっては、任侠道は間違いなく美徳であったはずだ。 しかしそれは兄貴分である岡田、親分によって打ち壊されてしまった。 じゃあ岡田と親分にとっては任侠とは嘘っぱちだったのか? というと、そうでもないんじゃないか。 つまり、武士道みたいなもので、任侠もまた 「これが任侠で、これが任侠じゃないですよ」とは成文化されていない。 成文化マニュアル化されていないから、 各々の信ずる任侠道があるはずだ。 それは大筋は合っていても、細やかな部分では統一はされておらず、 (そもそも"細やかかな部分"という見方自体がこの場合誤りだ) 各々にとって都合よく解釈されているはずのものだ。 コンプライアンスなんかとはまるで違う。 だから岡田と親分にとっても、それぞれの任侠道がある。 …というわけで、麻雀中の 「それにしたって親分、どうしてあんな死にぞこないを あのシマでのさばらせておくんですかい」 「近々よその組と戦争がありそうだからな、 そのときにあいつを鉄砲玉にさせるんだ」 みたいな会話を松永に聞かれた二人が 取り繕えないのはすごくがっかりだった。 お前らなら取り繕えるだろう。 いやそれは取り繕いですらない。本心から言えるはずだ。 「松永てめえ馬鹿野郎。 そのままくたばっちまうんじゃ情けねえだろう。 てめえはてめえなりに、 死にぞこないは死にぞこないなりに、 死にざまで男を見せてみろってんだ」 この程度の啖呵をきってみせればそれで充分なのに。 大事なのは、これは逆切れでもなんでもないってとこだ。 彼らにとっては等身大の任侠、侠気で表せるはずって点だ。 これが、現代的なものの見方に縛られてるとなかなか行きつかない。 でもとてもとても大事なことだ。
エロネタでちょっと思いついた。 エロは とくに自分用のエロは 全く取り繕いのないマジのガチの むきだしの好みが現れるはずだ。 どんなに本当の自分がわからないとか抜かしてる モラトリアム野郎だってそこんとこはガチだ。 それを細部まで突き詰めていけば話になる。 ちょっと面白いかも。
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