ヒルカニヤの虎



 箒で掃かれて焼かれて消えて

……映画どころか会社でたの12時前でした。余裕がなくなると顔の筋肉がこわばって動きゃしねえ。音楽聴いても入ってこないし、どうしようもなくなってキリンジ轟音で夜道疾走。

そんな状態で帰ってきた深夜、恩師から著書と手紙が届いている。遊びにきなさいって、それだけでほどける私は他愛なく幸せだ。社会人になって一年、まだ大事なものはある。

さて昨日の続きです、プルートで朝食を。あらすじは省略。
いわゆるクィアのにおいのする映画は虱潰しに見るのが俺ルールです。その中でこういうタイプの映画は実は少なくて貴重だったりする。エンドロールの後味が「ダブリンバスのオスカー・ワイルド」に似て、いい夢みたなと涎をぬぐうあの感じ。アイルランドはいつか行かなきゃ。
そういえば具体的な濡れ場が(冒頭の神父さまご乱行以外)ないんですね。時代はグラムなのにスカートの下はあいまいなまま。
トランスジェンダーってゆうとボーイズドントクライとかトランスアメリカとか、感想文に「考えさせられた」って書かざるをえないのが常ですけど、この映画はそれが一切ない。あくまで軽妙にお洒落に、不真面目に。深刻になること、真面目になることを主人公のキトゥンがかたくなに拒むから。
どこかで成長物語って読んだ気がするけどこれ違うよなー。だって彼(彼女)は変わらない。最初から最後まで一貫してとても賢い。後悔はしないし嘆きもしない。全部わかっているのよ、とキトゥンはいう。次々不幸に襲われてなお、世界を恨まずに悲惨な状況を内に取り込んでいくのです。イアン・ハートとの監獄のシーンは声出して笑っちまった。映画で笑うことなんてめったにないよ。所詮夢でおとぎ話でウェルメイドなんだけど、夢の匙かげんが絶妙でございました。
不真面目にふわふわ生きるのはとても大変で、深刻ぶるのは実は簡単。キトゥンは必死に不真面目でありつづける。そうすることでせめて自分の世界の秩序は変えられる。それに音楽にIRA、古着派にはたまらない'70年代ファッション。原作よみたいんだけどどうやら邦訳でてないっぽい。原作とかなり変えてあるとみた。ニール・ジョーダンはすごくセンスのいい粋な画をとる監督なので、何本かに1本アタリがあればよしとしよう。

あ、もう3時だ。
最近気づいたのですが、仕事終わったあと3時間くらいは言葉が出てこない。もちろん普通にしゃべれるし書けるけど、なんかすべてがコピペっぽいんだ。思ったことが思ったとおりの言葉で出なくなっていく。昔、いろんなことが人並みにできなかったころ、言葉なんて造作なくあふれるように出るもんだと思ってたのに。
こんぺいとうは削られて、ただの砂糖の玉になる。とけて崩れておわり。幸せかもしれないけどそれじゃだめだ。

2007年06月15日(金)
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