2007年05月08日(火) |
経営の国際化ってなんだろう?? |
1980年代以降でしょうか、日本では国際化が叫ばれ、バブルの頃には「バイリンギャル」といった言葉ももてはやされていました(話が古くてすみません)。当時は商社や銀行が海外各地に支店を持っていたり、一部の大企業が海外生産拠点を持っていたようです。
90年代になると円高も進んで、特に生産拠点の海外移転が加速し、メーカーや一部サービス業が海外に進出していきました。また、海外の大学や大学院、あるいは語学研修などで海外に滞在する人が爆発的に増えていったのもこの時期だと思います。
21世紀になると米国の凋落が始まり、中国やインド、ロシアなどの発展が加速し、企業の国際化も多様性が重要になってきたようです。
一口に、経営の国際化って、なんだろうなぁ?と考えてみました。
生産拠点や販売拠点を海外に置いてがんばることなのでしょうか?? 外国語を話せるのが国際化なのでしょうか??
私はどちらも違うと思います。経営の国際化は日本で日本語だけでもできると思っています。
私が考える経営の国際化の定義は以下のとおりです。
1)相手の国、国民、文化、習慣を尊重し思いやってあげられること。 2)相手を信頼して責任を明確に定義して、相手のやり方でやってもらうこと。
言い換えますと「相手への信頼を基礎としたガバナンスの構築」が経営の国際化ではないかと考えます。
もう少しわかりやすく言いますと、「相手を尊重して信頼して、全て任せる」という感じですね。
現在、中国における日本企業のプレゼンスが低下しつつあることを危惧しています。90年代くらいまではたいていの業種において、外資と内資による合弁企業の設立が義務でしたが、外資合弁法の規定が変わって外資独資でも法人を設立できるようになりました。
独資で企業を100%コントロールするメリットはとても大きく、特に製造業では日本のやり方をそのまま持ち込んで生産できるという点では大きな進歩があったと思います。
しかし、独資になったために、「合弁企業」の煩雑な経営からでも学ぶことの多かったさまざまなレッスンが無くなってしまい、独資企業内の従業員をただの低コストな使い捨てのように考える企業も出てきてしまっているのではないでしょうか。
低コストは悪いことではないのですが、日本でのやり方を持ち込んでずっとそういうガバナンスで独資を経営していると、次第に現地従業員の気持ちがわからなくなります。
他の日系企業との「従業員の給与比較」をしてそれなりの給与を払っているだけで従業員は満足しません。経営者の熱いハートと、任されることによって植えつけられる責任感がなければ、従業員は伸びて行かないのではないでしょうか。
やはりそこには、異文化の相手を思いやる心、信頼して任せる心が必要で、それがすなわち「企業の国際化」につながっていくのではないかと、感じています。
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