「彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。」 ルカ2:6〜7
メッセージ題 「心に主イエスを」
マリアは処女であり、結婚前であるのに、子供を宿しました。それは救い主イエスであり、聖霊によって身ごもったのです。マリア自身このことは驚きでありましたが、夫になるはずのヨセフにとっても大事件でした。しかし二人は信仰によってこれを受け止め、清い体のままで夫婦となり、イエス様はそのような二人の子供としてお生まれくださいました。 その夜、宿屋は満員でした。ベツレヘムは小さな町です。身重のマリアを連れてナザレからベツレヘムに旅していた彼らは、他の人のように身軽ではありません。そんな彼らが宿を探した時には、もう既に遅かったと、こういうことなのでしょう。 しかし、一つだけ空いているところがありました。それは、家畜小屋です。正確には、聖書には「家畜小屋」だという記述はありません。今日の聖句にあるように、寝かせた場所が飼葉桶であったため、「それが置いてある場所=家畜小屋」ということになるわけです。いずれにせよ、人が泊まるような場所、人間の赤ちゃんが寝るような場所ではない、そんなところに救い主はお生まれくださいました。 その家畜小屋とは、まるで私たちの心のようです。パレスチナの家畜小屋とは、西洋や日本のような木造りの温かみのある小屋ではありません。洞穴のような石造りの、換気の悪い、冷たい、暗い場所・・・それが家畜小屋であり、石で出来た冷たい汚い場所が飼葉桶なのです。神を退け、自分勝手に生きる人間の心は、家畜小屋より汚いかも知れません。でもそんな場所に、救い主はお生まれになりました。 これはキリスト教会に伝わる有名な話しです。ある教会で、子供たちによる降誕劇が行なわれたそうです。その時、一人の知恵遅れの子供の配役に悩んだ教師が、「一言なら大丈夫だろう」ということで、宿泊を断る宿屋の主人の役に抜擢したということです。当日彼は、「ダメだよ、部屋はいっぱいです」というセリフを無事に言い終え、周囲はほっとしていました。ところが彼は、さびしそうに去っていくマリアとヨセフの後姿を見て、たまらずに「待って!僕の部屋が空いてるよっ!!」と叫んだというのです。みんなビックリしましたが、あまりに美しいその心にうたれ、拍手大喝采で、今までで一番素晴らしいクリスマス会になったということです。 イエス様は、神であるのに人となって、家畜小屋にお生まれくださいました。私の心に、あなたの心にお生まれになったのです。そんなイエス様を心から締め出したりせず、喜んでお互いの心にお迎えしようではありませんか。
ペニンスラ・フリーメソジスト教会 牧師 榊原宣行
|