ぺニンスラフリーメソジスト教会 牧師メッセージ

2007年11月04日(日) 聖日礼拝

「イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』」 ヨハネ20:29


「見えないものの確かさ」

 夫婦は何でつながっているのでしょう?親子は?友人関係は?それらは何か紙で書いた誓約書があるからつながっているわけではなく、見えないけれど、確かな信頼関係で結ばれているからこそ、自然と愛し合って生きているのだと思います。キリストと私たちの関係も、見えないけれど、確かな信仰によって結ばれているのです。
 イエス様は十字架で死なれましたが、三日目に復活されました。そして復活の日の日曜の夕方、弟子たちにその姿を現されました。しかしその場に、弟子の一人であるトマスがたまたま居合わせなかったのです。ですから彼は、キリストの復活を疑いました。そんな彼の前にイエス様は再び現れ、この聖句をおっしゃったわけです。
 「トマスのように疑わないで」などとよくクリスチャンの間では昔から言われたりするのですが、私は正直言うと、そんなにトマスが悪者だとは思えません。なぜなら、一般的に考えるとトマスの考え方が普通だと思うからです。そしてそれを考慮しつつもなお、私たちはイエス様がおっしゃった言葉を心に受け止めなくてはなりません。
 2000年前、神は人となってこの地上に来られました。それがイエス様です。その神であるイエス様を見た人たちは、みな彼を信じたでしょうか?いいえ、多くの人は彼を信じず、十字架にはりつけにしました。旧約の時代、出エジプトの奇蹟を見た人は、全員神様を信じて従いましたか?エリヤの奇蹟を見た人は?バビロン捕囚からの解放を体験した人たちは?・・・そう考えると、見たから信じ続けるわけではないということがわかります。それが人間の現実なのです。自分勝手であり、ご都合主義でありと、これが人間というものなのでしょう。だからこそイエス様は、見ないで信じることの尊さ、見えないものの確かさをおっしゃったのではないでしょうか?聖なる神の霊が注がれているこの時代、細き神の声である聖書のみことばに耳をすますならば、確かなものが見えてくるはずです。

ペニンスラ・フリーメソジスト教会
牧師 榊原宣行



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