「三時ごろ、イエスは大声で、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』と叫ばれた。これは、『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』という意味である。」 マタイ27:46
十字架上の七つの言葉を順番に見ていますが、今日は四つ目の言葉です。この四つ目の言葉は、詩篇22篇からの引用です。周囲にいてこれを直に耳にしたユダヤ人たちには、もちろんそれがすぐに分かったことでしょう。この言葉は見捨てられた者の叫び、祈りだったのです。 父なる神様は、一人子なるイエス様を見捨てたのでしょうか? そうです、父と子の豊かな交わりは断ち切られ、神はイエス様をお見捨てになったのです。ですが、神様から見捨てられるのは、罪人である私たちのはずです。神を神とせず、神に背を向けて生きてきた私たちこそが、見捨てられ、この絶望の叫びを口にしなければならなかったはずです。しかし、イエス様はその叫びを身代わりとなって叫び、滅びの呪いを受けて死んでくださいました。ですから私たちは赦され、永遠の命を受けるに至ったのです。 私たちの教会には、子供教会学校があります。日本の教会にそれがあるのは当たり前ですが、アメリカの日系教会ではなかなかそれをすることが難しいので、私たちの教会にそれがあるのは素晴らしい恵みだと思っています。私たちの教会学校には、かつてフォング文代さんという素晴らしい教師がおりました。彼女は数年前、ガンのために地上を去りました。しかし彼女は、死を前にした床にあっても、常に神様を見上げていました。そして亡くなる前日、見舞いに行った私に対して、「私の最大の喜びは、自分の子供たちにイエス様のお話をすることが出来たことでした。そして、もしも私が元気なったとして、一番やりたいことは、教会の子供たちにイエス様のことをお伝えすることです。」とおっしゃったのです。こうして彼女は、その翌日に天国へと召されて参りました。 私はこの出来事を、決して忘れないでしょう。私たちの教会には、そして教会学校には、こんなに素晴らしい方がおられたということを・・・。彼女は、死を恐れず、まことの神様を畏れました。そして、天国への希望と福音の喜びに生きた人でした。皆さん、私たちも様々な苦しみ、痛み、悩み、悲しみ、そして死という究極の敵が人生に立ちはだかってきますが、イエス様は十字架の上で、私たちが叫ばなければならない苦悩の叫びをすでに叫び終え、勝利をとってくださいました。ですから、十字架と復活の主を仰いで明日に向かって、永遠に向かってあなたは生きることが出来るのです。
ペニンスラ・フリーメソジスト教会 日語部牧師 榊原 宣行
|