私には2歳になる息子がいる。 41歳でうんだ最初の子供だ。
独身のときも、結婚してからも子供について とくに熱望していたわけではない。 主人は、子供好き、というか自分の兄弟に子供がいて (つまり甥っ子)をみていて可愛くてたまらなかったのだろう つきあっている時から”子供もつくろう”なんていっていた。 わたしも”そうだね、、”といいつつ全くその気はなかった。
子供なんて、汚くてうるさくて、自己中心で手間がかかって、、
なにより、こんな自分が親になってどうするのだ、、 子供が子供を産み、そだてる? そんなできるはずもないし、もともと太めで醜い自分の体型が これ以上かわっていくのもいやだ。。 と想っていた。 30代半ばからPMS(月経前症候群)は現れだした。 排卵期には、だるくなったり頭痛がするものだが、仕事の帰り道 歩いていてとてつもない疲労感に圧倒されてうずくまることもあるほどだった。 生理も不順で、3日でおわったり1週間あったり、、 だから、妊娠などしない、、とまあ、10代の娘のようにたかをくくっていた。
結婚して相手の仕事の都合でのばしていた新婚旅行に半年後に出かけた。 行き先はハワイ、1週間である。 が、、 これがまた最悪であった。 主人は、もともと島国のひとで、無意識に島国根性というか 自分の故郷意外は敵みたいにかまえているところがあった。 (本土のひとは、、島のひとは、、という言い方をときにおれいうのである) しかも、英語もできない、 そして、海外は言葉も通じないし、食事も異なる、飛行機に8時間も 乗ったこともなく、タバコをすえないということで、ともかくいらいらしていたのである。 だいたい、ハワイにいくというのは、私の希望であった。 2回おとずれて、すっかり魅力にとらわれた私は、どうしてもいきたかったのだ。
だが、、中身がフリープランの旅行であったため、、
結構、片言でも英語をはなさねば通じないところもあった。 しかも、予定が狂ってバスにのりおくれたり、違う料理がきたり、、とハプニング もあった。私はもともと”これも旅なんだから”と楽しむほうだが、彼は 自分ではしないのに”物事がスムースにいかねばたまらない”タイプだった。 ないか、事があるたび、明らか様にふくれて怒ってだまってしまう。
かえってきたときは”もう、絶対離婚する、こんな状態でいっしょにはいられない そう想い、恥をしのんで、母親にも話し、手続きのほんを立ち読みはじめたり していた。 が、、、 くるものがこない、、 ”うそだろう。。”と検査薬でしらべると2回とも陽性。明確に、、 ”なんで、、??” これが最初の感想、、 そのときすでに”かるいうつ状態”でいっていたレディースクリニックで 超音波検査をした。 すでに”心臓”ができていた。。。 自分の体内でおこっている”神秘”におどろいたものの、実感はなかった。 生むか、産まないか、、とももちろん想っていた。 次月の検査のとき、2センチくらいの勾玉みたいな息子が。。。 ”あ!動きましたね!” たしかに全身をまげてぴくっとうごいた、、 それはまるで ”ママ!はじめまして、ぼく(わたし)よ!”といっているようだった。
私にも母性本能があったのだろうか、 すごくなにかえたいのしれない感情の波がうちよせた。
”産まなければ、、なにか意味があって彼は(彼女は)私の おなかにきたのだ”
主人も突き1枚ごとに成長する子供の超音波写真をみて いままでにない感動にとらわれているようだった。
息子は私たちのまぎれもなく”かすがい”になったのだ。
が生まれてからもやはり苦難は続いた。 息子はひどい乳児製湿疹で、朝から晩まで、勿論夜中まで 私がかかりきりだった、、が最初の育児でわけもわからず、泣く息子を まえに泣いていた。 どうしてもなきやまない2ヶ月の息子をはげしくゆさぶったこともある。 また、体質なのかなかなか太らず、水分(砂糖水)ばかりのみ、大量の おしっこで毎日、ベッドにおもらしをした。 あるとき、狂気がはしり、まだ4ヶ月の息子のせなかとおしりを 激しくたたいたこともある。
それでも、息子はなんとか2歳になった。 あいかわらず細身だが、元気で以前の病気意外は風邪もひかない。 7ヶ月でたち、8ヶ月には歩いた、、言葉はまだでないが、感情は豊かだ。
台所で、私と主人が並んで話をしていると(私は難聴、彼は人口鼓膜)なので ときおり、洗い物などしていると声がおおきくなったりする。 そのとき、息子はひとりであそんでいても、飛んできて私と主人の太ももあたりの ズボンの橋をもって、二人の身体をくっつけようとする。
”けんかしないで、、”というように。 また、親がふざけて、たとえば主人が私をからかってくすぐったりしていると めざとく見つけて ”ぼくも、仲間に入れて!”というようにかけよってきて二人にしがみつく。
彼は前世、親や家族の愛にめぐまれなかったのか、、 両親が不仲だったのか、、 そんなことを想像したりする。
子供という人格にふれて、親も子供も互いに磨かれるときいたことが ある。 毎日、大変である。 けれど、子供ができたから、自分に向き合うきっかけができたかもしれない。
夜添い寝をしていて、自分の手の半分くらいの2つの肩甲骨が上下しているのを みると、感情の波が押し寄せる。
”愛しい”というのはこういうことをいうのだろうか、共思う。
スピリチュアルの本で、自分の身近なひとが生まれ変わって子供になったりする ときいたことがある。
父は早くに自分の父を無くし、母も20歳になるかならないかで なくしたと聞いている。。
息子が父の生まれ変わりか?
いや、、夜、ねぐずっているとき、頭を頭突きしてすりよってくるところ をおもえば、実家でかっていたオスの愛猫”ボン”だとおもうのだが。(苦笑)
長くなった、、、
そして、私にはこの世にはうまれなかったが もうひとり子供がいた。。 去年、その事件はあった、、 そのことは、次回にいろんな思いもあるのでそれを含めて かいてみたい。
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