世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
DiaryINDEX|past|will
三島由紀夫、「豊饒の海」四部作を一月下旬に読み終えたことは以前書いたとおり。感想のようなものを、まとめておく。
「春の海」「奔馬」「暁の寺」は同じ新潮文庫でも改版後のもので、(恐らく)文字遣いを若干改め、字も大きくなっている。 「天人五衰」だけは旧版で、昭和五十六年に出た第六刷。こちらは字は小さいけれど、書体(明朝?)も美しく頁全体が締まって見える。
最初の三冊を読んでいるときは気が付かなかったけれど、たとえば「春の海」の松枝清顕がちょっと馬鹿みたい(実際にそういう若気の至りキャラが清顕の持ち味でもあるのだが)に感じるのは、この新版の頁から受ける印象と関係があるのではないかと思った。
そもそも「春の雪」は、好き嫌いの分かれる小説だとは思う。あんな金持ちのぼんぼんの我儘し放題の話を、絢爛豪華に語って聞かされてもなぁという人(特に男性)は多いと思うのだ。それを格調高めに成立させようとしたら、刊行当時と同じ文字遣いできめないと…、平成の世の中のスタンダードに従わせようとしてもなぁ…、と微妙な違和感を持った。
微妙と書いたけれど、四部作のあとに新版の文庫で読んだ三島の「美しい星」、読んでいる間じゅう、読んでいる自分が馬鹿みたいだった。一度旧版との比較が頭のなかにできてしまうと、新版の頁面て、ほんとに馬鹿っぽくて嫌だ。老眼が進んできている私の眼でも旧版、十分に対応可能であることがわかったし、むしろその方が充実感がある(馬鹿っぽくない)ので、これからも出来る限り旧版で読みたいと思っている。
--
「奔馬」は、主人公の飯沼勲という国粋主義者の青年が、腐った資本家に天誅をくだして切腹して死にたがっているという話。この主人公は、とにかく早く腹を切って死にたい、もう切腹するのが人生の望みのすべてで、死にたくて死にたくてたまらないのである。もちろん犬死ではなく、志に死ぬことが重要なのだが。
この飯沼青年の心に寄り添いながら、なんとか早まった考えを改めさせようとするのが判事である本多(四部作を通しての語り手であり三作目以降の主人公)なのだが、三島由紀夫はこの一作の中で、飯沼と本多というふたりの人間のオピニオンを鋭利に書き分けている。小説家なのだから180度意見の違う人間を書き分けられるのは当たり前だと思うかもしれない。
だが、その後三島がどんな最期を遂げたのかを知って読むと、なかば狂信的に腹を切りたがる青年を描き、かつ、その青年を愛情を持って諌める知的な大人の言説をきっちり書ききるというのは…。 そんなこと(世を憂えて腹を切るなんてこと)が理解されないのは百も承知、でもって考えられる最良の助言はこうだよね、という声なき声が聞こえてくるようで読み手としては複雑である。 (これを書いた時点で、三島はまだ自決する意志を固めていなかったのではないかな)
--
「暁の寺」から、二作目まで狂言回しだと思われていた本多繁邦が主人公になる。この四部作自体が輪廻転生をモチーフにした小説ではあるけれど、この巻はとくに大乗仏教等についての説明が多くて大変(笑)だった。だって、急にそんな難しい話されても、にわかにはわかりかねますって。
この巻では「奔馬」で死んだ飯沼勲の生まれ変わりと思われる人物としてタイのお姫様(月光姫=ジンジャン)という女の子が出てくる。 ジンジャンがまだ小さな子供だった頃、タイの離宮で遊ぶ彼女が本多から献上された指環の真珠を舐めるシーンが描かれているのだが、一読、これは森茉莉だなと思った。
この場面のジンジャンはまさに「甘い蜜の部屋」のモイラそのものだ。 三島由紀夫は森茉莉の文才に惚れ込んで、彼女を、それこそお姫様のように扱った。森茉莉は「甘い蜜の部屋」のあとがきに、執筆にかかった十年間という苦しい日々を支えたのは三島由紀夫と室生犀星の二つの霊であると書いている。
「甘い蜜の部屋」が完成した時点で三島の没後五年がたっていたが、三部に分かれて発表された小説の、少なくとも第一部を三島は読んでいた。そのとき彼から寄せられた絶賛が、森茉莉を支えていたというのはよく知られた事実なのだ。個人的には、ジンジャンの真珠のくだりは森茉莉へのメッセージ(挨拶)のようなことではなかったかと思っている。
それにしてもこの四部作、エンターテインメントとしての読み応えがすごい。とくに後半の後半くらいからの畳みかけ、物語を完結させる力が尋常ではない。途中いろいろ思うことがあっても、このクロージングにやられてしまう。巻き込まれる。 この「暁の寺」のどんでん返しもとても面白かった。はー、そうだったのかー!って。さすが稀代の流行作家。
--
本来、五部作になるはずだった「豊饒の海」シリーズが四部作で終わってしまったのはなぜなのか。三島由紀夫は三作目の「暁の寺」を書き終えたあと「実に実に実に不快」になったとエッセーに書きのこしているそうだ。作品世界が完結して閉じられるとともに「作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になったのである。」…だそうだ。 なにがあったかはわからないけれど、確かに、ここで何かがあったのだ。
三島の最後の小説となった「天人五衰」のなかで、なんてことを書くのだ、それも四十年以上もまえに!とショックを受けた部分がある。本多が養子に迎えた透という青年に食事のマナーを教えながら話す言葉。
「きちんとした作法で自然にのびのびと洋食を喰べれば、それを見ただけで人は安心するのだ。一寸ばかり育ちがいいという印象を与えるだけで、社会的信用は格段に増すし、日本で『育ちがいい』ということは、つまり西洋風な生活を体で知っているというだけのことなんだからね。純然たる日本人というのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。これからの日本では、そのどちらも少なくなるだろう。日本という純粋な毒は薄まって、世界中のどこの国の人の口にも合う嗜好品になったのだ。」
…驚くというか、呆れるというか。1970年の時点でこういう認識だったのだ。もしあのときに死ななかったとしても、バブル、携帯電話、ネット社会、草食男子etc、とても堪えられなかったのではないだろうか。仮に生き続けられたとしたら、間違いなく、先の科白を吐いた本多繁邦そのひととなっていただろう。
四部作の幕をひく「天人五衰」の最後について、すべては水泡に帰したかのような解説もあるけれど、私は門跡(聡子)は、尼僧になった時点でそのように思う(そのような現実を生きる)ことに決めていた、だからそれに従って話しただけだと思う。 ただし、四部作刊行当時にリアルタイムで読んでいた読者のすべてが、そのように割り切れたかというと、そうではなかったのだろうなとも思う。
五部作で書かれるはずだったものが、ある時(「暁の寺」完成時?)四部作になった。そのとき同時に「天人五衰」の幕切れも、三島の心境を反映したものに書き替えられたのではないだろうか。
いずれにしてもこの四部作はエンターテインメントとして、とても上等の小説だった。あのような最期を遂げた作家の絶筆として「天人五衰」はあまりにも確固としたクオリティを保っていると思う。 ただ、三島の初期の短編などのくさいくらいの文学性がなつかしくなったことも事実。なので、このあとは長編ではなく短編を読んでみようかと思っている。
この帯。ミシマはこういうのが嫌だったんじゃないの。
|