世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2014年01月03日(金) 読んだ本(2)

 
 
昨年9月以降に読んだ本の続き。
占星関係の本を読むようになって以前のような読書から遠ざかっていたのが、9月ごろからまた復活。しばらく離れていた分、読みたい(買いたい)気持ちははやって、10月に入るとamazonのユーズドで購入した本がドカドカ届きだした。

ユーズド利用を理由に天使の制止を振り切ったわけだが、たかだか6、7冊の本が送られてきただけで「ドカドカ」なんて表現を使うこと自体が、この買い物が生活に及ぼす影響におののいている証拠。ま、いいんじゃないか。読んでなんぼの人生よ。



「村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ」三浦雅士(新書館)

あこがれの三浦雅士の著作をやっと手に取ったわけだけれど、これはいささか若年層向け?、にしても、ちょっとあざといと思うのはダイレクトに購買意欲をそそる村上・柴田両名の氏名を織り込んだタイトルと、両名のファンに過剰に配慮した内容だ。

とにかく、春樹と元幸の共通点、いかにこの二人の感性が似通っているかについて書いてある。そして、春樹とサリンジャー、ヴォネガット、ブローティガンの共通点についても書いてある。でもでもやっぱり、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」とブローティガン「ソンブレロ落下す」の相似性については触れていない。おかしいだろう、そこ書かないのは。
この踏み絵をきちんと踏んだ上で語る人の言葉しか、あたしは信じたくないんだな。

唯一(!)面白かったのは柴田元幸へのインタビューで、青年時代の柴田氏が英米をバックパック旅行した話にドキドキワクワク。野宿なんてへいちゃらだったそうですよ、柴田さんは。その風貌に似ずタフで行動力があるという事実に、爽快な驚きを覚えた。

「サリンジャー、ヴォネガット、ブローティガンの三人が、村上春樹、高橋源一郎、池澤夏樹を生んだ」というのは、そうなのかもしれない。
その環境から「柴田元幸の感性が生まれ、その感性がオースター、ミルハウザー、ダイベックに結びついた」のも、きっとそうなのだろうと思う。
「この間におこった変化はとてつもなく大きなもので、たぶん小説というものの性格が変わってしまった」、うん、きっとそうなのだろうね。…だからさ、三行で済む話じゃないか。

この三行の意味するところを掘り下げたければ、実際にそれぞれの作品を読んでみるしかないと思う。そうして、特にお気に入りの作家がみつかって批評も批判も、作品の占める位相も忘れて読みふける。そのずーっと先に、個人の中で評論的な言説が生じたとしたら、それは自然で貴重なものだと思うのです。



「オリーブ・キタリッジの生活」エリザベス・ストラウト(ハヤカワepi文庫)

北米の海に面した架空の町に暮らす、オリーブ・キタリッジという傍若無人、でも自分に正直なおばさんの話です。こういうおばさんは、親しくはなりにくいかもしれませんが、確かに必要な人なのです。

息子-母親問題、避けがたい「老い」という問題等々、普遍的な生活と自然を描いて、読み応えがありました。女性作家ということで、アリス・マンローにも共通する女の皮膚感覚が文章にふんだんに盛り込まれていて面白かった。特に、私自身がもう若くはない、老いを身近に意識しだしたというタイミングで読んでいるので、それが格別の味わいにつながったとも思う。

訳者は小川高義さんですが、たくさんの素晴らしい仕事をされている翻訳者さんで、私はとてもお世話になっています。昨日書いたナム・リーの「エリーゼに会う」も、ジュンパ・ラヒリの著作もこの人の訳で読みました。春樹と元幸だけが優れた翻訳者であるわけでは、全然ないですよね(と、一応書いておく)。

…それにしても、オリーブ・キタリッジほどの女性でも悩みに悩む、息子-母親問題の苦しさよ。母親であるということは、それだけで純文学を生きるということなのかもしれません。




「千年の祈り」イーユン・リー(新潮クレスト・ブックス)

息子-母親問題も苦しいけれど、娘-父親問題も、そうとう苦しい。そこに中国という社会主義国家の過去の歴史が一枚噛んでいるとなれば、否が応でもその陰影は濃さを増す。ゆえに、読む楽しさよりも重苦しさが印象に残ってしまった。

そして、個人が抑圧されざるを得ない社会に生まれ育ったことを客体化しようと思ったら、逆の位相(アメリカ)に身を置くというのは定石のひとつなのかな、とも思った。

同じ北京出身で「上海キャンディ」を書いた棉棉(ミェンミェン)は徹底的に中国内を這いまわりながら自分を変容させようとしたけれど…、棉棉は異端すぎて(私は愛してますが)、他の作家との比較は無理な人なのかもしれない。




「青春の終焉」三浦雅士(講談社学術文庫)

いつも小説(物語)ばかり読んでいるので、こういう内容の分厚い本は読み通すのに体力が要りました。体力を使った理由のひとつはその文体にあり、おおよそしかめつらしくて、美しさに欠ける。
…ということで、この本はちょいと手強かったのです。うまくまとめられないので、いったん保留。日を改めて別だてで書きます。


※(3)に続きます。







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