世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2012年01月27日(金) 生きてるだけで丸儲け?

 
少し前に書店で「愚の骨頂」という本を立ち読みしておりました。内容はマツコ・デラックスと中村うさぎの往復書簡です。その中に収録されていた対談で、1958年生まれのうさぎさんが、子供の頃は家の中に新しい家電製品が増えていく様を驚きをもって眺めていた、洗濯機やテレビのない家に次々に文明の利器が登場した。だから携帯電話なんてまったくSFの世界の出来事だと語っていた。

同年代の私としては「うちもそうだった。だから、二十一世紀は生きてるだけでサバイバル、奇跡みたいなものよ!」と思いながら読んでいたのですが、マツコ(38歳)は、そうはとらなかった。かなりショックを受けた感じで、えっ、あんたってそういう年代を生きてきたひとだったの!少し勘違いをしていた、ならばもっと敬意をもって接しなければいけない、というような意味の言葉を返していました。

それ読んで、まさかひと回りくらいの年齢差でそんなに生活実感に差があるとは思っていなかった私は非常に驚いたのですが、そのうちに、だんだん気分が良くなってきた。私が(私も)マツコに敬意を抱かれているような錯覚に陥ったのですね。要は、そんな年寄りだとは思わなかった、もう少し大事にしてあげなきゃね、ってそれだけのことなんだけれど、勝手に勘違いしてぐんぐん気分がよくなってしまった。ほかの人ならともかく、マツコだからね。嬉しさも何か格別って感じだったのです。
 
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長い間ずーっと頭痛の種だった画像処理ソフト問題にケリがついた、と思います。
二十一世紀を不器用に生きるストレンジャーも、これでやっとストレスなく更新ができるようになる、はずです。
 
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本日の購入本。古書店、即興堂にて。

 ユリイカ臨時増刊号「矢川澄子・不滅の少女」 2002年10月刊(青土社)
 
 
年末に買おうと思って買いそびれていた古書。矢川澄子は1930年生まれ、2002年没。
「古きものへの敬意」の次は「不滅」への欲望か、と、軽口叩こうとして、考えた。「不滅」って何だろう。どういうことなのだろう。
 
これは無理だという気がする。「不滅」については死ぬまで何もわからないだろうと言う気が強くする。人間が知らなかったり解明出来なかったり、知らなくてもそれでかまわないことというのが数限りなくあって、「不滅」はそういった、眩しさに目を細めることそれ自体が幸福といった類いの謎めいた光源なのだと思う。そりゃ欲しくもなりますよ、このユリイカ。
 
 
 
 
 
 
 


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