ジョン・レノンの"BEAUTIFUL BOY” がラジオから流れて来る この美しい曲が聞こえてくるといつも微妙な気持ちになる。 だってジョンの息子はショーンだけじゃないからさ。 いくらポールが"HEY Jude”と慰めてくれても、ジュリアンだって父親の思いやりがほしいと思うかラサ。 地球の平和を願ったように息子の心も救って欲しかったと思うのは変だろうか。いやいや、わたしだってこのきれいな曲を本当は大好きだし楽しみたいのだ…
最近、どこかの新聞に小堀杏奴さんのことが載っていたらしい。 わたしのこの日記にも「小堀杏奴」という検索でやって来る方が数名いらした。 どんな単純な仕事でも楽しんでやること云々という鴎外の言葉が彼女のエッセイに書かれていたとそのコラムは紹介していたらしく、友人はその文章を新聞から切り取り持ち歩いている。 そして「何事も楽しむこと」を最近のモットーにしている。 わたしはと言えばなんだか真逆で、三歩歩くのも、人生のなんと辛い事よ…と思ってしまうほどしんどい。 楽しんで生きるとはほど遠い「やっつけ仕事」のような毎日だ。 それはそのような「境遇」というのではなく、つまりは「才能」とか「精神的な成熟度」というようなものが関係しているのだと思う。 母親と用事を足しに出かけるとする。 必ず喧嘩する。お互いに稚拙なのだ。なので、出かけることは「楽しみ」ではなくて、ある意味「修行」のような様相を成す。 数年前、エリザベス・ギルバートというアメリカの作家の短編集「巡礼者たち」という本を読んで「わたし好み」の作家の出現をとても喜んだ。 その後、いくつかの長編が書かれたようだがわたしは彼女の短編が読みたかった。 当時、ジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」というこれまた「わたし好み」の短編集ともめぐり会っていてなんともしあわせな気分であった。 そして、再度エリザベス・ギルバートと再会。 「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあるゆること探究の書 」 ウェッブ上の点字図書館の目録でこのタイトルに出会ったとき、ちょっとしたデジャヴュを感じたのだけどはて何処でお会いしましたかな? なにはともあれ読み始めた。 おもしろい… 離婚失恋、度重なった大事な人との関係の破綻に直面して著者はかなり重篤な鬱病になってしまう。 そしてある出来事をきっかけとして一年間の魂の再生の旅へ出発する。イタリアで心と体にたっぷりと栄養をつけ、インドのアシュラムで魂の立て直しを図り、バリ島で人生を楽しむことと魂の修行とのバランスがとれるように訓練する… そんなにうまく行くものか?と思ったが著者はやり遂げてしまう見事! 人生のよい面、人間の善きところ、本来の著者は多分何事に対してもプラスの面を探し出せるタイプだったのだろう。尊敬できる師との出会いも彼女の心のありようが導いて行った結果なのかもしれない。 で途中で気付いたのだけど、これって最近ジュリア・ロバーツの酒宴で映画になってたのだね。そういえばラジオのCMで流れていた。既視感はそういうことだったんだ。 エリザベス・ギルバートもジュンパ・ラヒリも淡々と描いているのに深いところに語りかけてくる。それでいて乾いたユーモアがたっぷり。 おもしろかった。 ちょっとだけ「人生を楽しんだ」かもな…わたし。
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