朝の蜘蛛は仏様のお使いだから殺してはいけません。 そんなことを遠い遠い昔にだれかに聞いた。 わたしは蜘蛛なんか見えないので、周りの人たちの「蜘蛛格闘話」に耳を傾けながら、近くどこからか訃報が入るな…などと思っていると、かなりの確率でさみしい知らせが届く。それは同僚の親戚であったり近所の隣人であったり… その朝も職場で朝の蜘蛛話を聞いた。 Oは小さな蜘蛛がぴょんぴょんはねるように職場の机の上を逃げていったと言っていたし、 Mは掌ほどの大きな蜘蛛と起きがけに格闘した話をしていた。 彼女らの話を聞きながら、わたしはぼんやりと、ああ…今度はわたしの近くで何かありそうだな…と思った。 その晩遅く、尾道の叔父の訃報が入った。 叔父は長く患っていたので周囲も静かに覚悟はしていた。 わたしは連絡を聞きながら蜘蛛はやっぱり仏様のお使いなのだな…と考えていた。 蝶々もまた魂の化身と言う。 小林秀雄も母親が亡くなった夕暮れに自分の体にまとわりつく一匹の蛍を、 「ああ、おっかさんがやって来たな…」 と感じたという。 逝った人の思いがささやかに姿を変えてこちらの世界に現れる。 こちらも心を平らにしていないときっと見逃すほどのささやかな便りだ。
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