「朽ち葉色のショール」小堀杏奴 著 春秋社 冬枯れの美」 小堀杏奴 著 女史パウロ会 森鴎外の次女小堀杏奴さんの昭和30年代後半から50年代初め頃までに書かれた随筆集。 長女・茉莉さんと末っ子の類さんはどちらかというと浮世離れしたゆめみがちなボヘミアンという印象だったけれど 杏奴さんは堅実で現状をしっかり見据えて生活されていたようだ。 かと言って、やはり鴎外の影響濃く、かなり芸術的な感性も備わっていた女性。 ヒステリーで継子を愛さなかったとして悪妻のレッテルを貼られ、晩年は親戚付き合いもなくしてしまった母、一般常識とはかけ離れた感性の姉、箸にも棒にもひっかからない弟。鴎外亡き後、この家族を社会とつなぎ止めていたのは杏奴さん。 かなりの重圧があっただろうに、いつも笑顔で明るい雰囲気を醸し出していた杏奴さんに随分救われたと累さんもエッセイに書かれていた。 鴎外の遺産と印税でしばらくの間はある程度の生活を維持できていた。それでも杏奴さんは買ってまで欲しいものがなかったと書いている。ただ、母が丹念に長い時間をかけて編み上げた朽ち葉色のショール--あのショールにくるまれて暖かい思いをしたかったと書いている。 買ったものにはない暖かさがそのショールにはあったのだそうだ。 いつも一家を支えるべく緊張していた杏奴さんの気持ちが伝わってきて胸がキュンとなった。 甘えれば、すぐにこどもに向き直り膝に抱き愛情を示した父の暖かさ 杏奴さんはそんな暖かさを心から欲していたのではないかと、ほっと安心したかったのではないかと感じたのだった。
「とかとんとん」太宰治 著 小堀杏奴さんは太宰治のファンだったようで、エッセイの中に太宰の作品の話題がいくつか出てくる。 「とかとんとん」もそのひとつで、 わたしは読んだことがなかったので早速青空文庫で読んでみた。 終戦から戦後にかけてのある男の話。 玉音放送を聴くシーンから物語は始まる。 戦争に負けてしまったお詫びに自分は陛下のために玉砕するつもりである-という上官の言葉に感激し自分もそうあろうと熱く決意するのだが、その時、まるで何もなかったようににどこからか大工仕事の音が「とかとんとん」と聞こえてきた。 すると男の決意は瞬間的に雲散霧消し、その日のうちに荷物をまとめてさっさと田舎に帰ってしまう。 そんなことがあってから、男は人生の岐路に立ち、熱い決意をするたびに、どこからか「とかとんとん」という音が聞こえて来てしらけた気分になり、どうでもいいやと投げ出してしまうのだ。 その投げ出し方が笑ってしまう。 面白かったので、この一週間いくつかの太宰の短編を読んだ。 人としてのだめさ加減と情けなさ加減がわたしと似ていて、共感して読んだ。 故郷に対する卑屈さと憧憬もよくわかる。 太宰って面白かったんだなと再認識した数日間、ふと気付くと今日は桜桃忌だとラジオが告げている。
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