日々の泡

2010年04月09日(金) 氷砂糖がなくても

禍福糾えるごとくの一週間でありました。
禍の方は自分で招いたもののようでありましたが…
まあ 仕方がない。
時間が解決してくれることでしょう。
気持ちをフラットに、時の流れに流されましょう。
オールを持たずにボートで流されるように
さて辿り着くのはどこだろう?
心から悲しいことはだれにも言えない。
なので言わない。
そうすると寡黙になってしまうんだな。
ある夜のこと
五十近くにもなる娘の頭を
母は撫でて言うのでした。
もっと幸せになって欲しい…って。
と言うことは、あたしはしあわせに見えないってこと?
さまざまなことがあるけれど
これでも結構しあわせなのだよ、あたしは。
しあわせのてんてんをつないで
もっとしあわせになって行くのだよ、これからあたし。
青空文庫で宮沢賢治の可愛い文章を見つけました。

『注文の多い料理店』序
宮沢賢治

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃(もも)いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗(らしゃ)や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹(にじ)や月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾(いく)きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

  大正十二年十二月二十日
宮沢賢治

底本:「注文の多い料理店」新潮文庫、新潮社
   1990(平成2)年5月25日発行
   1997(平成9)年5月10日17刷
初出:「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」盛岡市杜陵出版部・東京光原社
   1924(大正13)年12月1日

明朝は晴れるとのこと。
美しい桃色の日光を思い切りのみ込みましょう。
今から楽しみです。
おやすみなさい…


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茉莉夏 [MAIL]