桜の頃になると、何故だか明治・大正時代の女流文学を読みたくなる。 何でだろう? 満開の妖艶さと、枯れたような黒い幹… それがまだ女性が恵まれない時代にあって、恋に生きた美しい女流文士たちを連想させるんだろうか? 数年前、ネット上の図書館、青空文庫で初めて岡本かの子の短編を読んだ。 それまでかの子と言えば、かの岡本太郎の母上で、当時圧倒的な人気を誇った岡本一平の妻であり、ふたりの愛人を次々一平との家庭に住まわせ不思議な三角関係を続けていたというスキャンダラスな一面しか知らなかった。 けれど、青空文庫で次々に彼女の絢爛たる作品を読み継ぐに従いかの子自身をもっともっと知りたいと思うようになった。 そうだそうだ! それにはいい作品があったではないか! 「かの子繚乱」瀬戸内晴美著 今までたまっていたかの子への疑問、興味を一気に解決すべくわたしはこの本に集中した。 さて、それはそれは面白かった! 岡本かの子という芸術家が太陽のようにわたしの脳裏に鮮やかに描き出された。 かの子という人は、我が儘であり常識では計れないところばかりだけれど 文学に対する透徹した情熱、一緒に暮らした男性たちすべてが、彼女と暮らした日々が我が人生で一番生きている」という実感に溢れた瑞々しい日々であったと感慨をもらすなど、凡人には想像できないリビドーに溢れた時代のミューズだったんだと思う。 岡本一家が欧州へ旅立つときにも同居していた愛人と書生は同行する。 愛人と言っても慶応大学病院の外科医という社会的にも立派な人物であったようだし、早稲田の学生であった書生は戦後ある県の知事を何期も務めたような人物で、俗な人間がスキャンダラスな夫婦と同居しているなどと言う想像してしまうような人物像とはかけ離れた人たちだった。 その不思議な人々の関係が具体的に想像されるエピソードがあるので引いてみよう。 かの子は渡欧中にたくさんの有名人と対面しインタビューしているが、なんとチャーチルにも対面している。 かの子じしんも英語を話せたようだが、そそんな際には日本語を通し、通訳は書生が、書生が通訳したらないところはハアちゃん’(愛人の愛称)が付け加えて通訳して、それでも足りないときにはパパがスケッチして説明するのですよ! と男三人を堂々と従えて行ったのだという。 なんとしあわせな女性なんでしょうか。 かの子は面食いで、夫の一平氏はもちろん、愛人たちも見目麗しい男性ばかりであったという。 そう言えば、ハンサムだった小林秀雄にもかの子はどうか付き合ってほしいと懇願したというエピソードを秀雄の妹さんが書かれた本で読んだことがあった。 男性だけではなく美しい女性にも憧れていた。 おっと、時間がなくなったので続きは次回に書こう。
|