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2006年07月10日(月) |
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271話感想up |
今週のアニメ、271話の感想をアップしました。
電伝虫でココロさんの声を聞いているナミの絵が、まんま不二子ちゃんだな〜と思った。アニメ「ルパン三世」のオープニングで、ルージュを扱っていた時の不二子ちゃん。その後弾丸として使っていたような(うろ覚え)。もちろん、不二子を意識して描かれたのでは、絶対ないと思うけど。
アニメの間のCMで、るろうに剣心のゲームのコマーシャルが流れました。京都編、大好きだったので、懐かしくってほろり。剣心大好き、志々雄大好き。今でも、ワンピースのペルを見ると志々雄を思い出してしまいます。
原作の漫画は、完全版コミックスの発売も始まったんですよね。本屋に第一巻が置いてありました。表紙は和月先生描き下ろしの緋村剣心でした。
和月先生の武装錬金がアニメ化されるのにあわせて、商品展開してるのでしょうかネ。
るろうに剣心、私はコミックスで読みました。アニメのほうは、剣心の声にどうしても馴染めなくて、京都編の数話とOVAを観ただけ。コミックスでは、縁が登場したあたり、「人誅編」の半ばあたりから、絵柄も、剣心のキャラクターも変わってしまって、変わったという表現は適切じゃないかもしれない、和月先生が描こうとしたものが全てだから、受け入れたいと思うけど、いち読者として、剣心はこうであってほしいという部分が失われてしまって、なんというか、作者に置いてきぼりをくらったようで、寂しい思いをしました。最後までそういう気持ちを抱えながら、作品が、和月先生の描かれる絵が、あの頃に戻ってくれないかな、と願いながら読んだので、剣心のことを思い出すと、感動したり熱くなった様々な場面やシーンと一緒に、その、寂しい感覚がよみがえってきます。ゲームのコマーシャルで見た剣心は、“あの頃”の剣心だった。本屋で見たコミックス表紙の剣心は、その後の、最終巻近くの剣心だった。“あの頃”の剣心を、和月先生はもう描けないのかもしれない。でも私はあの頃の剣心が好きだったから、コミックス最終巻には、納得していないから・・。結末に不満があるのじゃなくて、剣心には幸せになってほしかったし、明るく笑ってほしいと思っていたからそれは良かったんだけど、なんというか、コミックスの最終巻の剣心は、自分が知ってる剣心ではなくなってしまったようで、ただ、寂しかった。読み終わっても、読み終わった気がしなくて、自分のなかではまだ終わってない、という思いで、物語の途中に取り残されたままのような気分で、落ち込んでしまいました。うまく、説明できないけど・・。
本当に、最終巻を読んでいた頃の自分の気持ちをちゃんと説明できないけど、批判してるように捉えられるかもしれないけど、それでも和月先生の「るろうに剣心」が今でも大好きで、完全版コミックスの表紙の剣心にキュンとなって、ちょっと寂しげで穏やかな表情を見せてくれている剣心にほっとして、あったかい気持ちになってる自分がいたりする。この漫画に出合えた自分は幸せ者だと思ってる。
完全版コミックス、第二巻は刃衛が表紙だそうで。刃衛と剣心の戦い、良かったなあ。
コミックス全巻持ってるのに、完全版も買い揃えたい衝動に駆られてます・・。
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