歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2008年04月02日(水) 発展途上人間ができること

幼少の頃、周囲の大人を見て僕は、

“体格が大きいし、力も強い。自分の知らないことを数多く知っているし、頼りがいがあるのではないだろうか?”
と感じたものです。その思いは小学校に入学した時の上級生や中学、高校入学時の先輩、某歯科大学入学時の先輩やOBの先生にも感じたものです。さすがに某歯科大学時代には体格に関することは感じなくなりましたが、それでも自分よりも専門家として活躍しているOBの先生の姿を見ていると、

“何だか凄そう“
と感じたことがしばしばでした。

実は3月31日に僕たち夫婦は12年目の結婚記念日を迎えました。何が何だかわからないうちに結婚記念日を迎えたわけですが、12年前を思い起こすと、僕は某病院の臨床研修医でした。12年前ということは、僕が結婚したのは30歳の時になりますが、当時僕が世話になっていた指導教官の先生方は僕よりも10歳上の年齢でした。ということは、当時40歳代前半の先生だったわけで、中には今の僕の年齢である42歳の指導教官もいたことになります。臨床研修医だった僕にとって当時の指導教官は、時には厳しく、時には丁寧に思いやりをもって指導してくれたかけがえの無い先生方ばかりで、今もって恩に感じるのですが、12回目の結婚記念日を迎えるにあたり、僕は自分が当時の指導教官の年齢に達していることに改めて気がつかされました。

幼少の頃をはじめとして生徒時代、学生時代に憧れだった人たち、臨床研修医時代に世話になった先生たちの年齢に自分が達してみて感じたことは、確かに体は大きくなったし、歯医者としてもそれなりの経験を積んではきたけれども、後輩から憧れるほど自分は熟していない、まだまだ未熟で頼りない、学ぶべきこことがたくさんある、もっと経験を積みたい、歯医者としてもっと実績を積みたいということです。周囲から見れば、歯医者として見られるのかもしれませんが、自分の内面を冷静に見つめれば、こんなことでいいのだろうか?という不安、あせりを感じざるをえないのです。

そんな僕も4月からは週1回再び某専門学校で教壇に立ちます。歯医者としての仕事の合間に講義の準備をしているわけですが、後輩に教えるということは、自分の持っていた知識、技術を再確認することにもつながるなあと感じます。今もって僕は発展途上人間であることは間違いないのですが、発展途上の年数が長い分、少しは後輩たちに発展途上の中に得られたことを伝えることができるのではないだろうか?
自分の未熟さを考えると、人様に教えるということは恐ろしくてできないのが本音なのです。けれども、未熟者には未熟者なりの苦労があり、その苦労で得られたことを下の世代の人に伝えることは決して無駄ではないのではないか。そう割り切りながら、今年も某専門学校での講義に臨もうと考える、歯医者そうさんでした。


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