歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年12月13日(木) 喪中葉書を出す寸前だったこと 後編

前編はこちらです。

内科医である弟が疑ったのは大腸に通過障害があるのは何か原因があるということでした。大腸に溜まっている便が下剤や浣腸をしても出ない。大腸の蠕動運動が見られないという事実。ということは、大腸の中で何かが便を出すことを邪魔していると見るべきではないか?
弟の脳裏に最初に浮かんだのは癌でした。癌を疑った弟は、内視鏡検査を行ったのですが、結果は、良性のポリープが見つかったものの癌ではないことが判明。 念のためにと思い、腹部のCTを撮影したところ、予想もしなかったものが見つかったのです。それは、大動脈瘤。

動脈瘤とは、動脈の壁が薄くなり一部が風船のように膨らんでしまった病態のことをいいます。動脈硬化が進み、高血圧な人に起こる確率が高いと言われているものです。動脈の中でも大動脈と呼ばれるところにできた動脈瘤が大動脈瘤です。心臓から体中に血液が送られていますが、その大元ともいえる大動脈。親父の腹部にある大動脈に大動脈瘤が見つかったのです。大動脈瘤は破裂すれば即、死を意味するもの。いつの間にかとんでもない病魔が親父をむしばんでいたのです。

弟はどうすべきか何人かの院内の先生に相談をした。元々弟は手術しなくても血圧を管理することで手術を回避できるのではないかと考えていたようですが、念のために周囲の先生にも意見を仰いだようです。その中の一人の先生曰く

「お父さんの大動脈瘤は形が悪い。これは放置していたら近いうちに破裂してしまう。今すぐにでも手術した方が良い。」

今回幸運だったことは、弟が意見を仰いだ先生の一人が某国立大学胸部外科の専門医だったことです。この専門医は腹部大動脈の治療の専門家で、しかも、開腹手術をせず、カテーテルを使用して大動脈瘤にステント入れることで破裂を防ぐという手術のスペシャリストだったのです。この専門医は週に1回弟の勤務先の病院を訪れていたとのこと。弟が意見を仰いだところ、その専門医も直ちに手術をすべきだという意見。しかも、もし手術をするなら自分が担当するということまで言ってくれたそうです。
弟から説明を受けた親父は直ちに手術ができる某国立大学附属病院へ転院と運びとなりました。

親父の入院はほとんど緊急入院に近いものでした。そのため、転院先の病院の胸部外科のベッドに空きが無く、何とか救急治療部のベットが確保され、入院先となりました。入院するや否や、担当医から手術の説明と同意書の筆記を求められたとのこと。そして、息つく暇も無く、直ちに手術。手術についてはこちらのような手術だったようです。

某国立大学附属病院へはお袋が付き添っていました。僕はといえば診療所で患者さんの歯の診療をしていました。診療が終わり次第、直ちに某国立大学附属病院へ駆けつけるつもりではいたのですが、この時ばかりは親父のことが気になって仕方がありませんでした。弟や主治医からは大動脈瘤が直ちに破裂するようなことはほとんど考えられないが、ゼロではないという話を聞いていました。この“ゼロではない”ということが僕の頭の中から離れなかったのです。もし、手術までに大動脈瘤が破裂すれば親父はあの世へいってしまう危険性がありました。この時の診療していた患者さんには失礼だったとは思いますが、診療中も、親父のことが心配でなりませんでした。

“何とか手術が終わるまで大動脈瘤は破裂しないでくれ!“

診療が終わり、直ちに某国立大学附属病院に駆けつけようとした時、自宅に一本の電話がかかっていました。付き添っていたお袋からの電話でした。

「お父さんの手術は無事終わったよ。成功したよ。」
お袋の声は安堵感と涙ぐんでいるような感じに聞こえました。

僕が病院に到着した頃には親父は既に病室に戻っていました。手術直後のため意識は朦朧としていたが、受け答えはしっかりとしていた。
いつもは親父のことをあまり意識しないような親不孝者の僕ではありますが、さすがにこの時ばかりは親父が生きながらえてくれたことにひたすら感謝のみでした。

驚くべきは術後でした。親父の手術は開腹手術ではないカテーテル手術。両足の鼠蹊部(股の付け根)近くにちょっとした切開の痕があるだけの状態でしたので翌日から早速歩行ができるような状態でした。歩行が出来るというよりも歩行をさせられたというのが正しいようでしたが、親父はわずか数日で某国立大学附属病院を退院、その後1ヶ月余りを弟の勤務先の病院で入院管理されました。回復は思ったよりも早く、手術後、10日ぐらい経過した時点では、入院先の病院の階段を上り下りできましたし、お袋に学会関係の書類を持ってこさせ、病室の机で書きものをしていたくらいでした。
手術前に一向に下がらなかったCRPも無事正常値であるゼロに戻り、主治医である弟から退院の許可が出ました。

今から思うに、風邪を引いたのがきっかけになったにせよ、その後の高熱、CRPの上昇、便秘などは、大動脈瘤に原因があったように思わざるをえません。僕のような素人はもちろん、専門家であるはずの弟もこの大動脈瘤までは予想していなかったのが正直なところです。偶然調べたCTの画像にたまたま大動脈瘤が写っていたのです。腹部大動脈が見つかる時は、他の病気を疑い撮影したCT検査で見つかることが多いそうですが、親父もそんなケースの一例でした。
もし、あの時CTを撮っていなければどうだったであろう?ある日突然、大動脈瘤が破裂し、親父はこの世の人ではなかったことでしょう。何事もなかった親族が突然亡くなるということを考えれば、僕や家族のショックは相当のものだったに違いありません。

今度の親父のことでつくづく感じることは、我々は自分の力で生きているのではなく、目に見えない何かで生かされているのではないかということです。僕は特定の宗教を信じているわけではありませんが、今回の親父のようなケースを目にすると、親父はまだこの世の中で生きているというよりも生かされているというように思わざるをえません。もし、人の命が何かに生かされているのであれば、普段からの心がけをしっかりとしておかないといけない。そのようなことさえ感じます。

1月下旬から3月中旬にかけ僕は一人で患者さんの治療をしてきました。いつかは自分一人で治療しなければいけないとは思っていたものの、思わぬことから一人で治療することになりました。その時感じたのは、いつも当たり前のように思っていた親父の存在感です。いつも親父が側で働いているという環境だったが、それが実に有難いことであったかを改めて実感しました。

4月下旬、親父は歯科治療に復帰できるぐらいまで回復しました。

「仕事をしようという気になってきた。」

現場に復帰した親父は、早速自分を心配してくれた診療所のスタッフの一人一人に快気祝いを渡していたのですが、そんな親父の姿を見て、ほっとした歯医者そうさん。

現在、親父は以前よりもゆっくりとしたペースで休みを多く取りながら体に無理の無いペースで診療をしています。術後半年後のCT検査では大動脈瘤のこぶが完全に消えて無くなっていたことが確認されました。親父にとってこの一年は今までに経験したことのない一年でしたが、結果として現代医学の発展のおかげで命が救われました。誰かが言っていましたが、人間というもの、生きているだけで儲けもの。年末、僕は親父の喪中葉書ではなく、年賀状を印刷できる幸せをかみしめています。


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