歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年10月04日(木) 小林秀雄と小島よしお

昨夜は地元歯科医師会で会合。来年の地元歯科医師会の事業計画を立てるために話をしていたのですが、話の合間の雑談で話題に挙がっていたのが診療室内のBGMの話でした。某先生がBGMを流しながら診療をするのが患者さんのためになるのかということを言い出したのがきっかけで、何人もの先生がいろいろと言い出したのです。
BGM賛成派の先生の主張は、患者さんのストレス、緊張を取ることに役立っているのではないかということでした。小さめの音で派手でない音楽、特にクラシック系の音楽を流していることにより、歯科治療前の、歯科治療中の患者さんの緊張状態が緩和される場合が多いというのです。
一方、BGM反対派の先生の主張は、BGMが患者さんの緊張状態を取ることには役立っていないということでした。どんな患者さんでも緊張する時は緊張する。緊張を取るために最も必要なことは担当医、主治医に対する信頼であってBGMではないということでした。
なるほど、このことも一理あるとは思ったのですが、僕は診療室内でのBGM賛成派の立場です。僕のこれまでの経験なのですが、自分がどこかの医療機関にかかった際、静かなBGMが流れていると何となく精神的に落ち着くものを感じたことがありました。また、自分が担当医として患者さんを診ていると、静かなBGMを流していると患者さんの緊張状態が緩和される傾向にあるように思えてなりません。うちの歯科医院では、診療中は診療室内に聴こえるか聴こえない程度の音でクラシック音楽を流しています。
クラシック音楽と一言でいってもいろいろあるのですが、うちの歯科医院でBGMとして使用しているのはモーツァルトの音楽です。BGMを使用する際、いろんなクラシック音楽を流して患者さんの反応をみていたのですが、ベートーベンやブラームス、チャイコフスキーなどは緊張緩和にはつながらないように思えてなりませんでした。最終的にいいかなと感じたのがバッハとモーツァルトだったのですが、バッハの音楽は若干暗さを感じるようなところがあり、最も患者さんに適している音楽として僕が選んだのがモーツァルトだったのです。

昨夜の会合の合間の雑談でも、僕は自分の診療室内でBGMとしてモーツァルトを流しているという話をしたのです。そうすると、話を聞いていたH先生が僕に尋ねてきました。
「そうさん先生はクラシック音楽が好きだったはずだけど、モーツァルトの音楽をBGMで流し続けていると、なんでもない時に突然頭の中でモーツァルトの音楽が鳴ったりするようなことはない?」
なかなか鋭い質問でした。何気なく聞き続けている音楽がいつの間にか頭の中に刷り込まれ、何でも無い時に突然音楽が浮かぶような体験。僕は何度かそのようなことがあるのですが、少なくとも診療室では多くのモーツァルトが有線で流れてきますから、診療をしていて邪魔になるような経験はありません。
このことを説明すると、H先生は

「かつて小林秀雄が第二次世界大戦が終わった直後、大阪の道頓堀を歩いていると突然モーツァルトの音楽が頭の中で鳴ったという話があるじゃない。」
「モーツァルトの交響曲第40番の第4楽章の冒頭部分のメロディーですね。」
「それそれ。ずっと音楽を聴いていると特に意識をしていない時に自分が愛聴している音楽が頭の中で現れるようなことがあるのではないかと思ったんだよ。特にBGMが仕事場である診療室内で流れていると、知らず知らずのうちにBGMに感化されてしまうようなことがないのかなと思ったんだけどね。」

その時、H先生と僕との話を聞いていたM先生が話に割り込んできました。
「小林秀雄みたいに文学的だったらいいよ。最近、俺なんてもっと品がないものが浮かんでくることがあるんだよ。」
「それって一体何ですか?」
「小島よしおだよ。」
「小島よしお?」
「せがれがね、小島よしおを見ていてしょっちゅうまねるんだよ。『そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ、オッパッピー』ってね。流行っているだから仕方のないことなんだろうけど、せがれが好きで俺の前でずっと小島よしおをやっているんだよ。ずっと目の前でやられているものだからうっとおしく感じるんだけど、いつの間にか頭の中に刷り込まれているようで、診療の合間の何気ない時に突然頭の中に出てくるんだ。『そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ、オッパッピー』って。たまったもんじゃないよ!」

一同大笑いでありました。


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