歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年05月05日(土) こどもの日の朝 感じたこと

今日はこどもの日。元気な子供たちを見つめなおし、今後の成長を期待し、親や家族だけでなく社会全体で子供たちを支援することを再確認する日とでも言うべき日でしょうか。元はといえば端午の節句だったはずですが、発展的にこどもの日という祝日になったようですね。

この春、僕の親族には新たに仲間が二人加わりました。一人は弟の次男、すなわち僕の甥っ子。もう一人が僕の従妹の長男、又従弟です。二人とも出産後、成長し、今回のゴールデンウィーク中、二人の顔を見る機会に恵まれました。

新しく生まれた赤ん坊を見ると、誰もが決まった同じことを言うものです。

「○○さんに似ている。」
「寝ている時の口の様子が○○にそっくりだ。」
「血は争えないものだなあ。」

目を覚まし、泣き出すと周囲で
「早くおっぱいをやらないと。」
「おしめの中は大丈夫か?」
「周囲がうるさいから起きたのではないのか?」
口々にやかましく言い合う始末。

とにもかくにも新しい仲間の誕生は、親族にとって新鮮な刺激になることは間違いありません。

二人の子供を持っている僕たち夫婦ですが、今や9歳と5歳になってきました。ここまで何とか育ってきたものだという話をしていると、嫁さん曰く

「30歳代は子育てに追いまくられていたような気がする。」

先日、四十路に突入した嫁さんの気持ち、側で一緒に暮らしてきた僕は非常によく理解できます。嫁さんは30歳ぎりぎりで上の子を出産、その後、34歳で下の子を出産しました。
子供は二人とも完全な母乳で育ててきました。そのため、二人とも乳飲み子の頃は、お腹がすく度に大声で泣いたものです。昼夜関係なく泣くものですから、嫁さんのストレスも相当なものでした。本当であれば僕が代わってやりたかったのですが、さすがにおっぱいは男が代わってあげることができません。それ故、嫁さんにとって子育ての大変さは身にしみたものだったことでしょう。僕も仕事の合間をぬって、できるだけ家事を手伝ったりしたつもりでしたが、子供を育てることがこれほど労力がいるものかということを痛感した過去10年間だったように思います。

このことを考えると、子供を産み、育てることに二の足を踏む夫婦が多いことも頷けます。子育ての大変さは生活のリズムの面だけではありません。経済的な負担も増えます。
最近、嫁さんに一日に食べるお米がどれくらいか尋ねたのですが、その量を聞いて正直言ってびっくりしました。このまま大きくなり二人の子供が思春期に入れば、一体どれくらいのお米がいるのか?僕もそんな時期があったとはいえ、今更ながら驚かされました。食費でさえそうなのですから、その他の生活費、教育費などを考えると、子供の成長にかかる経済的負担というのは相当なものだということをひしひしと実感し始めた今日この頃。

それでも、子供がいてよかったなあと思うのは、彼らに将来があるからです。将来に向けた大きくなっている彼らに無尽蔵のエネルギーを感じるからです。そのエネルギーは決して彼らだけのものでなく、彼らのエネルギーが僕ら夫婦にも降り注がれ、活力になっているように思うのです。
僕ら夫婦は既に40歳を越えました。人生を考えれば、既に後半を迎えていますが、後半を迎えた僕たちを追っている血を分けた子供が後を追いかけている。この事実は、僕ら夫婦に何物にも代えがたい財産となっているように思えてなりません。彼らが成長していることが僕ら夫婦の生活のモチベーションになっているといっても過言ではありません。

今後、子供たちがどのように育ってくるかわかりませんが、僕ら夫婦の遺伝子を受け継いだ子供たちを無事に育てあげることは、子供たちだけでなく、僕ら夫婦の絆を深めることにもなる。そう信じて、今二人の子供の子育てに四苦八苦している今日この頃。

そのようなことをふと感じた、こどもの日の朝の歯医者そうさんでした。


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