歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年04月28日(土) この世で最も公正公平なモノ考

現在、僕は週1回某専門学校へ講義に行っています。特に、5月中旬までは午前と午後の講義を受け持っています。朝9時から10時半までの講義が終わると、直ちに移動。途中、簡単に昼食を取ってから別の専門学校で1時から4時過ぎまで講義。

普段、歯科医院で仕事をしている者としては週1回とはいえ、朝から夕方までの2専門学校における講義は結構体力的に大変です。しかも、講義には準備がつきもの。これまでの蓄積があるとはいえ、いい加減なことを学生に教えるわけにはいきません。教科書の内容を吟味し、参考書や時にはインターネットから情報を集め、資料を作成する。普段は患者さんの治療とその準備に追われていますので、何とか時間をやりくりして講義の準備をします。この労力は決して楽なものではありません。
そのためでしょうか、まだ不慣れなのかも知れませんし、僕自身が小心者であるせいかもしれませんが、毎週水曜日の講義前は精神的につらいものがあります。自分ではそれなりに用意を怠らなくやっているつもりですし、講義のイメージもあるのですが、それでも気分が晴れません。早く講義が終わって欲しいと思いながら、講義の日に突入するわけです。

ところが、一連の講義が終わると、思わず束縛から解放されてほっとするような気分になります。今週の水曜日もそうでした。講義前の緊張感から講義が終わった後の解放感。
そんな解放感を味わいながら、帰りの電車の中で一息ついた歯医者そうさん。“フゥー”と息をつきながらふと感じたことがありました。
それは時間というものは公平に過ぎていくものだなあという思いです。

何か楽しみなイベントがあったり、旅行や恋人との出会う予定があったとします。その前はうきうきとしてものがあるのに、実際に事が行われた後は、楽しかった時間があっという間に過ぎてしまった感覚があるものです。楽しかった予定が思い出に変わってしまいます。
その一方で、緊張を強いられる仕事や業務、試験などの場合、事が終わるまでは精神的にきついものがありますが、実際に事が行われた後は、結果の成否がどうであれ、一種の解放感に浸れるものでもあります。

いずれの場合も人が感じる時間の感覚は違うでしょうが、時報が知らせる一秒、一分、一時間という時間は常に一定で、正確に時を刻んでいきます。この時間の過ぎ具合は老若男女、どんな身分であろうが、どんな社会に所属していようが、どんな状況にいようが皆公平です。いろいろと世の中不公平感が噴出し、格差社会なる有難くない言葉が流行していくなかで、唯一時間だけが皆に公平に与えられ、過ぎていく。

“同じ時間を過ごすなら、少しでも無駄にせず、有意義に過ごさないと人生、損だよな。”

疲れた頭の中でふと時間のことを考えながら、家路を急いだのでした。


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