2007年04月16日(月) |
かつて書いた釣書を見て思い出したこと |
昨日、自分の部屋であるものを探していると思わぬ物を見つけてしまいました。それは釣書。 僕は何度か見合いをしているのですが、その都度、自分のプロフィールを書いた釣書を書いていました。自分の名前から生年月日、住所、年齢、家族構成、自分の学歴、職歴、趣味など、便箋に書かれた釣書。何度なく書き直していた釣書の一部が部屋の片隅に残っていたのです。先日、11回目の結婚記念日を迎えたばかりですが、過去のお見合いをついつい思い出してしまいました。 お見合いは、人それぞれいろんな考えがあるでしょうが、僕は特に嫌いではありませんでした。お見合いは仲人を通じ、結婚を前提に男女同士を紹介しあう仕組みであるわけですが、堅苦しいところを嫌う人が多いと聞きます。確かにそのようなところはあるかもしれませんが、僕は女性と出会うチャンスがあるということには貪欲な方でした。恋愛であろうが見合いであろうが形式には全く拘らないクチだったのです。ですから、“こんな女性がいる”というお見合いの話を断ることはなかったのです。
お見合いと言えば、以前僕の出身歯科大学の後輩との話を思い出します。 その後輩は某病院に勤務していたのですが、非常に世話になった医局の先輩がいたのだとか。病院の中だけでなく、仕事以外でも頻繁に付き合っていたそうなのです。ある時、その先輩の家に遊びに行くと、その先輩は非常に憂鬱な顔をしていたというのです。 後輩が 「何か心配ごとでもあるのですか?」 と尋ねると、その先輩は一枚の写真を持ってきたのだそうです。その写真は写真館で取った写真だったそうですが、黙って後輩にその写真を見せたのだそうです。
「俺が見合いだけは嫌だとあれほど言っていたのに、両親がこんな写真を持ってきたよ。」
その写真を見た後輩は思わず驚いたのだとか。 その写真とは、僕と後輩の共通の知人の女性Sさんだったのです。
僕はこの話を聞いたとき、Sさんがあまりにもかわいそうに思いました。なぜなら、お見合いのためとは言え、自分の写真がお見合い相手だけでなく、直接関係のない人にまで回されている、表現が悪いかもしれませんが、たらい回しされていたからです。お見合いとは自分の人生の中でも最も大きな節目となる結婚のきっかけとなる出会いです。その出会いの際、お互いに自分たちのことを知ってもらうために釣書や写真を交換したりするわけです。ところが、そんな大切な写真が当人や家族だけでなく、関係者以外の人にも見られているという事実。これはあまりにも非常識なのではないかと感じたのです。
お見合いの際、僕は自分の釣書や写真を手渡すことに抵抗はありませんでしたが、間に入る人には、関係者以外に釣書や写真を見せることは絶対にしないことを約束してもらいました。僕は結婚相手を探している人間であって、商品ではない。このことを強く言っていたものです。
実際に僕も釣書や写真を相手に渡しました。その釣書や写真がどんな人に見られたかは定かではありません。関係者以外には回されていないことを信じるしかありませんでしたが、結果的に釣書や写真は全て僕の手元に戻ってきました。そんな釣書の一つを部屋の片隅で見つけたのです。 かつて書いていた釣書を見て、感慨深く感じた歯医者そうさんでした。
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