2007年04月02日(月) |
人は基本的にお人よしでは? |
今日はまず昨日の日記についての釈明から。 昨日は4月1日、俗に言うエイプリルフールと呼ばれる日でありました。1年に1回は他人に迷惑を掛けないうそであれば、うそをついても構わないという日であります。ということで、昨日は思わずうそを書かせてもらいました。 一応、タイトルには“今日、テレビ出演します・・・”と“・・・”というタイトルをわざわざ入れ、胡散臭い感じを入れたつもりですが、思わずドキッとされた方が少なからずいらっしゃったようです。 読者の皆様の寛大なお心で、どうかお許し頂ければと思います。
昨日、ねっとサーフィンをしているとある記事に出くわしましたのですが、その中にある調査に対する興味深い結果が掲載されていました。 男女の大学生と大学院生24人に1週間、日記を持ち歩いてもらい自分がうそをついた時と他人にうそをつかれたと感じた場合に内容を記録してもらい、結果を比較したというのです。その結果は、男性は1日平均1.57回、女性は1.96回のうそをついていたのに比べ、うそをつかれたと感じた回数は、男女とも1日平均0.36回。 自分がうそをついていた回数よりも自分がうそをつかれた回数の方が少なかったという結果がだったのです。
調査対象が大学生と大学院生という20歳代という年代であること、それにもまして調査対象人数が24名であることから、調査結果が正しいというわけではないですが、少なくともうそをつかれても気がつかない場合が多いのは興味深い結果だと思います。 調査をした担当者によれば
“人はうそをつき、一方で、つかれてうその多くを見逃しながら円滑なコミュニケーションを営んでいるのではないか”と考察されているようです。
僕が感じたのは、人は基本的にはお人よしなのではないかということです。 生まれたばかりの赤ん坊を見ていると、彼ら彼女らが母親に対しては絶対的な信頼があることがわかります。理由は簡単です。母親がいないと赤ん坊は生きていけないからです。何もできない赤ん坊はひたすら母親を求め、おっぱいから乳を飲み、おしめを替えてもらったりして常に母親の元で保護されているもの。これは理屈ではなく本能です。 赤ん坊は徐々に成長していきますが、いわゆる乳離れしても、親に対する愛情や求め、信頼することにより人間として成熟していきます。人というのは、基本的に身近な親との信頼関係を得てから社会に旅立っていくものである。 一方、社会ではいろんな環境で生まれ育った人の集合体です。様々な価値観を持った人で満ち溢れています。そんな社会では様々な利害関係や軋轢があるもの。うそをつきたくなるような状況、うそをつかざるをえない状況が生じるのは仕方がないのではないでしょうか。 人と人が共同生活を営む社会を生きていくうえで、人はうそを学んでいくわけですが、三つ子の魂百までといいます。親の愛情を一杯受けて育って人であれば、基本的にはお人よしにならざるをえないのではないか?うそをつかれてもうそと気づかない、うそを見逃してしまう場合が多いのではないかと思うのです。 今回の調査担当者のコメントでは、“つかれてうその多くを見逃しながら円滑なコミュニケーションを営んでいるのではないか”という内容でしたが、意図的にうそを多くを見逃しているのではなく、本当につかれたうそがわからないまま意思疎通を図っているのが現状ではないかと感じた次第。
僕が属している医療の社会では、患者さんからの信頼を得るためにうそをつかないことが絶対的な条件ではあるのですが、場合によってはうそをつかざるをえない時があるものです。本当のことを伝えると、相手に対して精神的なショックが大きく、結果として治療を進めるにあたり支障がでるような場合、僕は敢えて本当のことを言わず、言葉をぼかしたり、結果を敢えて言わなかったり、場合によってはうそをつくこともあります。
僕の考えていることが正しいかどうかはわかりません。基本的にうそをつくことはいいことではないとは思うのですが、時には命に関わるような微妙な医療情報をやり取りする際、慎重な言葉選びが必要です。時にはうそをつきながらでも、そのことが患者さんの治療結果にプラスに働くものであれば、うそをつくことは仕方が無いことではないかと思うのですが・・・。
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