2006年04月03日(月) |
携帯電話の普及で失ったもの |
どこの歯科医院でもそうだと思うのですが、患者さんが初めて自分の診療所に来院された際、患者さんには自分の名前や住所、連絡先、治療をしてほしい主訴や病歴などを問診表に記入してもらいます。歯医者にとって全く見ず知らずの患者さんである場合、その患者さんに関して何の情報も持ち合わせていないわけですから、治療を行なう前に患者さんに問診表を書いてもらうのは当たり前のことなのです。
最近、問診表を見ていると、ある傾向があるとに気がつきました。それは、連絡先についてです。連絡先には通常、患者さんが連絡を取りやすい場所の電話番号を記入してもらうことがほとんどです。これまでの場合、自宅の電話番号が大部分、一部に仕事先の電話番号を記される場合が多かったのですが、最近目立つのは携帯電話の番号を記す患者さんが増えてきたということです。
歯医者としては、何か緊急の連絡が必要となった時、患者さんと連絡が取れる電話であれば自宅の電話であろうが、仕事先の電話であろうが、携帯電話であろうが何ら問題はありません。むしろ、患者さん本人が常に携帯している確率が高いであろう携帯電話である方が都合がいいかもしれません。
その一方で、連絡先に携帯電話番号が書かれているのを見ると、僕は何か一抹の寂しさみたいなものを感じざるを得ないのです。どんな患者さんであったとしても家庭や企業といった社会に所属している、治療は患者さん個人との関係であったとしてもその背後には何らかの社会が控えているということを無意識ながらも感じていたつもりでした。実際、これまで緊急の連絡をした際、患者さんに連絡を取ろうとして自宅に電話をかけたところ、本人が不在で家の人に伝言を託けたケースが何度かありました。こちらの伝言がきちんと伝わっているかどうか不安は無きにしも非ずでしたが、患者さんが電話番号の書いてある家の家人であり、身元がはっきりとした安心感みたいなことも感じたものです。ところが、携帯電話であれば、話すことができる相手は患者さん本人にほぼ限定されます。もし携帯電話が繋がらなかったとしても、携帯電話のサービスの一つとして伝言サービスなるものがあり、誰かを介せず直接本人にこちらの伝言が正確に伝わるだろうとは思うのですが、その人がどんな社会に所属し、どんな人たちと交わっているのか想像がつかなくなってきているように思えてならないのです。
最近の調査によれば、携帯電話の契約数は固定電話の契約数を上回ったのだとか。既に9000万台以上の携帯電話が日本国内で使用されているという話を伝え聞くと、既に携帯電話は生活必需品の一つとしての地位を築いたといえるでしょう。携帯電話には本来の電話機能だけでなく、メールやインターネット、カメラ機能、スケジュール管理といったものからこの4月からはワンセグなるデジタルテレビ放送が受信できるような携帯電話も発売されています。携帯電話はどんどん高機能化していっています。
携帯電話が普及したことは日常生活まで変わってきました。例えば、僕の上のチビが通っている小学校では、電話連絡網の代わりに携帯電話メール連絡網なるものが登場し、小学校からの緊急連絡に重宝しているようです。これらは、個人情報保護の観点からも有用なようで、今後益々他の学校でも普及していく傾向にあるようです。
また、かつて男女カップルの連絡を取り合う際、お互いの自宅の電話を入れる時には、彼氏、彼女の家族にどうやって話をするか、電話をかけるタイミングなどを計りながら結構ハラハラドキドキしながら電話をかけた経験は誰しもあることではないかと思うのですが、携帯電話が普及した昨今ではそのようなことに神経を使う必要がほとんどなくなりました。便利になったといえばそうなのですが、その反面、相手とのコミュニケーションを取る際の細やかな配慮、気持ちの機微を感じる機会が少なくなってしまったようにも思います。
携帯電話の普及は確かに世の中を変え、様々な利便性を手にすることができたとは思いますが、これまで長きにわたって培ってきたものを同時に失っているような気がしてならない今日この頃。患者さんの問診表に書かれている携帯電話の電話番号を見る度、その念を強く感じる歯医者そうさんです。
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