My life as a cat
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2024年01月08日(月) 慈悲という傲慢さ

”Tori et Lokita”というベルギー映画を観た。正月から憂鬱なの観ちゃったなぁという感じだけど、これってすごく現実に起きてるということが想像つく話。フランスに来て、なんか世間の風潮を見てると、すごく慈悲の気持ちというものが強いような気がする。そして、そういう気持ちから派生することが受け取りたい人に届けられればいいけど、本当に受け取りたいと思ってる人に届いてるの?という疑問もある。Lokitaみたいな子はそういう物事の典型のような気がする。アフリカの貧困で多産みたいな家庭で、他国の援助だとか支援だのなんだのでなんとか食べて、成長したと思ったら、今度は家族の面倒を見なきゃいけない。ヨーロッパ目指して国を後にしたものの、ブローカーに借金して、なんとかその国に入ったものの、教養も経験もヨーロッパ的な一般常識もない13か14歳かそこらの女の子にまともな仕事などあるわけがない。性的にも搾取されて、奴隷状態で。幼い子が空腹で死んでいくというのももちろんすごく辛いことだけど、なんとか食べて成長したところでこうなるの?という過酷な現実。でも、誰がどんな権利を持って、食べさせられないのに子供を作る風習を持った人たちに物申すことができるのか?そういう風習(または宗教)の人々にはその人達のやりかたがあるのだろうし。

わたしと同時期に出産したカップルの旦那さんが、

「ねぇ、車買ったほうがいいよ。子供が可哀想だよ」

とわたし達に言ったことがあった。子供が可哀想?なんで???なぜ可哀想なのかよくわからなかったが、わたしはその言葉に少し傷ついた。うちの子可哀想なの?

でも、ある日、電車に乗って出かけるわたしとロクちゃんを見た奥さんが、ふとそういえばうちの子電車に乗ったことがなかったわ、と乗せてあげたら、子供はすごく喜んだということだった。その後、その旦那さんが車を運転していたら、ブレーキが突然きかなくなって、山道で事故って、同乗してた子供が怪我して(幸い軽傷ですんだ)、車も廃車ということがあって、それ以来もう同じ事は言わなくなったのだが。

可哀想、と思われることがわたしは嫌いだ。だってそういうのって自分の位置を基準として下を見るような、傲慢な感じがするから。他人に対してもそう思いたくないし、その人はその人なりの人生を懸命に生きてるのだと思いたい。でもやっぱりLokitaのような子を中学生だった自分の人生と並べてやっぱり傲慢にも可哀想だと思ってしまう。あちらに言わせたら、その年で勉強ばっかりして、塾に通って、学校にはイジメとかあって可哀想ね、って言うのかもしれないのにね。。。。


Michelina |MAIL