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ロクちゃんの学校のオリエンテーションに行ってきた。彼の先生になる人は、ふっくらした若い女性で、物静かで優しそうな人で、好感を持った。しかし、校長先生から受けた説明に胸がざわついた。
「持ち物はリュックサックに着替え数枚のみです。トイレができるという前提なのでおむつは認めません。午後も義務教育です。朝のみにしたいなら書類を作って承諾されなければいけません。といえども、それはそう厳しいものでないので、最初のうちは朝だけでも大丈夫ですよ。ただノエルくらいから徐々に午後も通わせるようにすることを薦めます。やっぱり他の子と同じリズムを掴むということも教育の中で大事なことですから」
おむつもとれてない2歳半の我が子が心配やら、引き離されるのが辛いやら、複雑な気持ちで涙ぐんでいたら、リュカが隣であっさりと言った。
「校長先生も大事だって言ってたから来年からは午後も通わせるようにしようね」
ずっと一緒にいられないなんて生まれた時からわかってたけど、こんなに早く我が子が一日中学校で過ごすなんて想像してなかった。二年半ひたすら手を焼いた我が子がふとどこかへ行って手がかからなくなってしまったら、わたしはどんなに混乱することだろう。すぐに自分の生活を立て直すことができるのだろうか。
母の日は、妹とお金を出し合ってフラワーリースを贈った。色のことで二人であれこれ議論した挙げ句、結局真っ白な花のリースにした。母は喜んで玄関に飾ってた。自分が母になり、感謝の気持ちは何倍にもなった。何気ないおしゃべりの中でいつも母の無償の愛を感じる。わたしの中では母の甘い記憶でも当人は何も覚えてない。
「ほら、一緒に買い物に行って圧力鍋買ってくれたじゃん」
「そうだっけ?覚えてない」
「あの時、唐揚げと卵焼き入ったお弁当持って迎えにきてくれたよね」
「そうだっけ?覚えてない」
「ねぇ、お母さんって本当にあれこれ記憶ないよね」
「うん。だって子育てが大変過ぎて、ひたすら目の前のことやってたから覚えてないの」
そうだね、二人の子育てだもの。一人を育てるのに悪戦苦闘してる今ならよくわかる。
胃癌で胃を切除した父は、それでもあっけらかんと酒を飲み続けて、もうなんともないらしい(病気に怖気づかない太い神経を持つということがいかに治癒に貢献するかということを父から学んだ)なんともないどころかパートで働きはじめたら楽しくて、フルタイムにしてもらったとか。妹も結婚が決まり、晴れて姪っ子ちゃんと実父がちゃんと家族になる。
日本の家族からは良い報告ばかり。わたしもめそめそ泣いてはいられないな。