My life as a cat
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2020年06月02日(火) それでも季節はめぐる

早朝、血液検査のため病院まで歩く。今日は飲食店がついに再開する日。川沿いのお店は一斉にテラスにテーブルを並べて、見事に開店してる。人々も一斉に外にでてテラスに席をとり、カフェを楽しんでる。あぁ、この夏の風景。川に沿ったプラタナスの街路樹の下に並べられたテラス席は半日陰で、初夏の午後カフェやらジェラートを手にまったりするのもよし、真夏の夜、そよそよ漂う川風を受けながらピッツァを食べるのもよしの特等席。この二ヶ月半、ぱったりと閉ざされて沈黙し続けてた川沿いの風景はあまりにも不吉な雰囲気で、もう二度と愉快な夏もやってこないような気になった。外出禁止中も心乱すことなく淡々とヨガや瞑想をして過ごしてた。この状況が辛いとかそんな風に感じたことはなかったのに、わたしは自分でも気付かないような体のどこかで本当はどこか我慢してたのか。この風景がまたちゃんと戻ってきてくれたんだ、と急に胸に何か熱い感情がこみ上げてきて泣きそうになった。

採血してくれたナースのムッシューはすごく優しくて、沢山の血液を抜く間、何度も"Ça va?"と聞いてくれる。健康保険証も医者からもらった処方箋も全てそれぞれわたしの名前の綴りが間違ってたり、名字がリュカの名字にされてたり(うちは夫婦別姓でわたしの名前は生まれた時のままが正式なのだが)とあれこれめちゃくちゃで、こういう時いつも何か不都合が起きないのかと不安に駆られるのだが(いや、大抵不都合が起きる)、このムッシューはどれが正しいのかと聞いてくれて、書類上ちゃんと正してくれてた。あれこれ質問を受けていると、他のナースがその周りで朝のカフェを淹れはじめた。わたしにもオファーしてくれたのだが、もうつわりが始まってからずっとカフェの匂いで吐きそうになったので遠慮した(カフェと焼き立てのパンの香りというそれまで自分がこの上なく愛してたこのふたつがなによりも一番吐き気を誘うものとなったのは摩訶不思議。自分が自分じゃなくなっちゃったみたいだ!!)。ところが彼が自分のカフェを淹れて、そこから漂った香りが久々に"良い香り"と感じられた。先週あたりからつわりも大分軽くなって気持ち悪さも少しやわらいだせいか。

帰宅して久々にカフェを淹れて焼き立てのパンを食べた。まだ最高に美味しいなんて思えないけど、大丈夫だ、食べられる。

昨夜、散歩の途中、今年初の蛍を見た。いつものキツネも痩せ細ってはいるけど、まだ生きてて、食料を探し歩いてた。今日はこれからリュカと待ち合わせてレストランでランチの予定。料理はパッションといえども毎日準備と後片付けが常につきまとう主婦としては、ただ座って誰かがサーブしてくれるのを待つ食事の時間は贅沢な休暇だ。

いつも、大量の薬を投与されて生き延びてるリュカが働く病院の患者達の悲痛な叫びを見てた。本人達は"もう薬なんか要らない。死にたい"というが社会と家族がそれを許さない。そしてここ数日、予防接種のこととか考えてて思った。人は死なないために生きるんじゃないってこと。生きてる時間の一瞬一瞬、自分の心地よいと思うことを選び取って、精一杯幸せを噛み締めて生きることなんだ。わたしはこの先一歩たりとも自分が不快と感じることはしたくない。両親にも家族にもそうあって欲しい。婦人科医も全く問題ないと言ってたし、今年の夏も沢山海水浴へ出かけよう。リュカと沢山美味しいものを食べて、お腹の中の"子犬ちゃん"が冬にちゃんと顔を見せてくれたら、世の中の美しいものを沢山見せてあげよう。


Michelina |MAIL