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"経済的な問題"を抱えているという友人の相談を数年聞き続けてきて、ふと思う。お金のことだけでいえば、彼女の暮らしぶりのほうがよほどわたしより上ではないか、と。日常の細々したことは知らないが、年に2,3度海外旅行に出かけているのだから、そう酷い状態とは思えない。が、しかし兎に角、彼女の悩みや、パートナーとの不仲の原因などあらゆる不調がこの"経済的な問題"が根底にあるらしい。彼女より暮らし向きが質素だと思われるわたしのほうから、彼女に"経済的な問題"を口にしたことは一度もない。問題があると思ったことがなかったからだ。
たまに他人の話す"貧困者"の様子が自分のことだったりして、苦笑してしまうことがある。しかしそうすることを余儀なくされているのと、自らの選択でしているのとでは事情が違う。わたしは肉が買えないのではなくて、買わないのであって、映画館に行けないのではなくて、行かないのであって(言語的困難のため)、車を買えないのではなくて、買わないのであって(健康のためになるべく歩きたいし、環境問題も気になるし、メンテナンスが面倒くさいし)、買い物にでかけたとき電卓で計算しながらバスケットにいれなければ支払えないのではなくて、きっちり家計を管理してやりくりできることに快感を感じる性格なのだ。そんなこんなで、他人のいう"貧困者"の暮らしぶりであっても一向に苦に感じたことはない。
人生満足度とは"欲するもの"と"得られるもの"の間のギャップがより少なければ少ないほど高いといえる。どんなに人より沢山得たって、ギャップが大きければ不満が大きい。ギャップのない自分はどれだけ幸運かと思う。結局友人がいう"経済的な問題"は彼女にとってはやはり問題なのであって、助けてあげたいけど、その解決策をアドヴァイスするに至っていない。