My life as a cat
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2019年09月21日(土) Captain Fantastic

"Captain Fantastic(邦題:はじまりへの旅)"を観る。資本主義とアメリカの社会に失望し、森に籠り暮らす家族。父親のベンと6人の子供達。自分で責任を持ってプロセスした食べ物だけを口に入れ、ストイックに頭と体を鍛える。自分の食べる肉は自分で狩って捌く。"病院は死ぬのを助けてくれるところ"。"コーラは毒水"。"ホットドックはホンモノの食べ物ではない"。"interestingという感想は抽象的すぎるのでダメ"。子供に嘘はつくなと教える前に、サンタクロースがいる、食卓に乗ってる肉は決して動物を殺した血なまぐさいものではない、自殺した家族は"天国へ旅へでた"などと大人が子供に嘘をつかない。ベンは子供に血なまぐさい事実も包み隠さず話してしまう。一方普通の住宅街に暮らすベンの姉妹は小さなふたりの息子には血なまぐさい事実は全部ふせている。そのくせ、人をぽんぽん殺すゲームなんかは許容している。このふたりの息子は人に向かって中指を立てたりして、あまりお利口ではない。子供と共に盗みを働く以外はベンの哲学には共感することばかりだった。

前半はベンの哲学に沿った理想の暮らしはうまくまわっているかのように見えたが、後半は逆風に吹かれ敗北していく。母の葬式に出席するために森を出た子供達は現代の"普通"の人々と接触していく。子供達は人々が太っていることに驚く。女の子と出会い、キスされ、そのままプロポーズしてしまい、冗談だと笑われて終わる。森の中で父親と本からしか知識を得ていない子供達は完全に浮世離れしているのだった。義父は孫達のことを思い、強引に子供達をベンから引き離し学校へ入れようとする。子供達はあれこれと世間を知った上で父親と同じ意見を選んだわけではない。子供は多かれ少なかれ、親や学校の先生の意見に影響されて育つ。だからどの家庭だって学校だって多かれ少なかれ宗教的で大人は教祖なわけだが、森の中に隔絶されていれば、子供達はベン以外のアイデアを知ることはない。ここに問題がある。

最後には結局ベンは自分の理想を半分貫きつつも妥協を受け入れる。それでも家族は幸せそうで結局ハッピーエンディングだった。わたしはしょっちゅうマジョリティが普通にこなしていることに疑問を持つ。ではそのマジョリティの中にいる人は何も疑問を持たずにやっているのかといったらきっとそうではない。わたしだって世間はどうでもいいが、身近にいる大事な人々のことを考えると結局理想を貫けず、マジョリティに同化する。資本主義や現代の先進社会のシステムに疑問を持ってもがく人の心の葛藤が描かれていて、共感しながらも考えさせられる映画だった。


Michelina |MAIL