My life as a cat
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2019年04月13日(土) 人生の指針

久々にクリスティーヌの家で夕飯をご馳走になる。わたしが仕事を始めてからは図書館にもあまり行けなくなった。こつこつと書いているフランス語の絵日記も久々にクリスティーヌに見せて添削してもらうことができた。単にちょっと間違えた単語のチョイスをしているだけなのだが、クリスティーヌに言わせれば、わたしの日記はとても詩的で美しいのだそうだ。

「あなた、黒大根の味が"pudique"だなんて・・・。なんて素敵な表現をするのかしら。でもね、大根とか食べ物に対しては普通使わないのよ」

控え目な辛みだと言いたかったのだけど。と、こんな風に説明しながら添削してくれる。

今が旬のアーティショーのサラダやラヴィオリを頂きながら、あれこれと話す。わたし達の共通の知人の話になり、彼女の旦那さんが仕事で海に荒波の写真を撮影しに行ったきり戻らなかったと聞く。彼の持ち物も遺体も何も見つからないまま数年が過ぎた。遺体もないから正式に死亡とも認められない。ほんの少しの希望を持ち続けて生きていくことが、どれだけ人を絶望させるのか。そう想像したら胸がぎゅっと締め付けられた。わたしは今の仕事の契約を決めるまでとても悩んだ。というのも仕事自体は興味があることだし、願ってもないチャンスだった。しかし、夏の間の3か月間はずっと仕事に拘束されることになり、リュカともクロエちゃんとも一緒に過ごす時間が無くなる。リュカはいとも簡単に

「たった3か月じゃない。秋になったらまた元通りになるし」

と言う。でもわたしはいつからかそんな風には考えられなくなっている。だって大切な人は自分の人生からある日突然消えていくものなのだ。それに自分だって人の人生から消えてしまうかもしれないのに。短い人生の中の3か月は果てしなく大きく感じる。2005年にこんな日記を書いた。そして40代になった今、わたしはまさにこれを人生の指針として暮らしている。

「明日も同じような日であることを願ってやまないような今日を過ごすこと」

今日やれることは今日のうちに精一杯こなす。リュカとごはんを食べて、クロエちゃんと沢山遊ぶ。家族にも友達にも好きな人には精一杯その気持ちを言葉や行動で示す。せかせかと働いてやっと床に就いて目をつぶる。そしてあぁ、素敵な一日だった。明日も今日と同じような素敵な一日がありますように、と願ってぱったりと眠りに落ちる。大抵の日はこんな風に過ごせている。仕事はとっても楽しい。今は家族との時間もとれているからまったく悩みもない。しかし夏の間の3か月間は仕事がどんなに楽しかろうと結局わたしはクロエちゃんを半日以上家に置き去りにして退屈させ、リュカに食事を作る時間もなくなり、一緒に食べることもできなくなり、今日と同じ明日が欲しいとは願わないだろう。明日も続けてはいけないと思うことを今日やるというのがとても心にひっかかるのだった。神経質過ぎると思われるかもしれないが、わたしはそれだけ自分の余生に神経質に生きているのだった。一日たりとも納得のいかない日を過ごしたくない。好きな人と好きなことだけに生きたい。仕事の話はAll or nothingのような条件で、フルにこなせる人を探しているとのことだったので、結局チャンスを全て逃すのは嫌で引き受けることにしたのだが。

リュカがベッドの中でポツりと謝ってきた。

「君の気持ち解った。軽々しくたったの3か月なんて言ってごめん。秋になったら、なんて秋まで生きてる保証なんてないのにね」

しかし、仕事を引き受けると決めたからには、今わたしにできることはできるだけ家族と過ごす時間を作り、健康で元気に乗り切ることだ。

今日は久々にクリスティーヌと会えて沢山話せた。クロエちゃんとも沢山遊んで、リュカともゆっくり料理をしたりして一日中一緒に過ごせた。素敵な一日だった。明日も今日のような日が来ますように。そう願いながら眠りに落ちた。


Michelina |MAIL