My life as a cat
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2018年12月03日(月) 良き母のいる街へ

クリスティーヌとマルセイユへ行ってきた。2泊の週末旅行。マルセイユにはクリスティーヌのボーイ・フレンドのフィルが住んでいて、彼がわたしの泊まる場所を用意してくれていた。このフィルとわたしの出会いはミラクルだ。フランスまでサントラを抱えてきたというほど好きな映画の主役を演じた俳優がなんと彼の息子なのであった。たった数人のフランス人俳優しか知らず、たった数人しかフランス人の友人のいないわたしなのだからこれはすごい。いつか息子に紹介するよ、と言われた瞬間、しどろもどろでフランス語を話す自分が脳裏に浮かんできて心臓がどくどくと震えた。

フィルのアパルトマンはアフリカ系の移民で溢れかえった地区にあって、その上着いたその日はマニフェスタシオンでジレ・ジョヌがあちこちで活動していたこともあって、通りでは何かが燃やされていたり、テラスでアペロをしていたら下の通りで催涙ガスをまかれて避難したりと大混乱だった(この騒ぎで死人もでた)。

朝、坂を下るとそこはアラブ人の商店街。巨大なパンや野菜や果物がうずたかく積まれていて活気に満ちている。色んな種類があっても全てキツネ色、ナッツとセモリナ粉と砂糖を固めたお菓子ということにかわらないようなアラブのお菓子と大きなパンをリュカへのお土産に買った。パンが本当に美味しくて、しばらくはアラブのパン作りにはまってしまいそう。

最後の夜はフィルの友人のアフリカ人の男の子の誕生日で、マルセイユの中心から車で30分ほど下ったところの港の前にあるレストランへ魚を食べに行った。日本と比べて魚は格段に高いから、クリスティーヌ達は"今日は魚を食べに行こうか"と特別なことのように言うのだった。価格もけっこうなものだが、でてくる魚もなかなか大きい。日本の切り身の3倍くらいの量はでてくるだろうか。白い人、黒い人、黄色い人が揃って同じ料理に舌鼓をうつ光景はどこか平和の象徴のようで幸せな気持ちになった。マリというとんでもなく貧しい国からきたこの男の子は、子供の頃煙草を吸う真似をしてカボチャの蔓を切って火を点けて吸ったらとんでもなく酷い味で、それ以来大人になっても絶対煙草には手をつけられないんだそうだ。この日は魚を食べて、デザートにこれでもかというくらい生クリームの詰まった大きなシュークリームをたらふく食べて、楽しい夜を過ごした。

マルセイユを嫌うフランス人は多い。貧しい移民で溢れかえっていて街は落書きだらけ。でもわたしのマルセイユは、ノートルダム寺院から見下ろした土色の街なのだ。数年前この丘の上に立ち、"ここに住みたい"と強く思った日のことは忘れもしない。マルセイユではこの寺院は"ラ・ボンヌ・メール(La Bonne Mère)(良き母、優しい母)"の愛称で呼ばれているのだとフィルが教えてくれた。やんちゃで手に付けられない子だけど、良き母に丘の上から見守られているかのような街。この味の濃い街がわたしは好きだ。


Michelina |MAIL