My life as a cat
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2018年08月28日(火) 痛い痛いミュールのコンフィチュール

ここでは果物は気軽に食べるもののようだ。傷まないようにとキャップに包まれて、更にプラスティックの容器に詰められて売り場に並ぶ日本の果物が箱入り娘ならば、こちらのは野生児だ。裸でぼんぼんと積み上げられて売られる。傷んでるのも売り場に並んでいるので選別するのは客の仕事。中から良い色で良い香りで傷んでない物を吟味して探す。といってもじっくり吟味してるのは日本人のわたしだけだ。地元の人はどばっと抱えて袋に入れている。お隣のイタリアと違い、フランスでは素手で果物に触れることは許されている。白桃などはそっと持ち上げて底が傷んでないかも確認したりして、腫物に触るようにレジに持って行く。そこでポンっとバスケットの中に投げ入れられたりすると、ギャー!!っと憤慨する(でもそれがなんであろうと、どんな文化で育った人だろうと、客に売る物を投げたりする人は信頼できない!)。そしてこんな時自分は紛れもなく日本人だと確信する。最近は自分の手で秤に乗せ、レジの人が触る前に自分で回収する。選別を客任せにしているせいか、丁重に梱包したりせず裸で売り出すせいか、それとも土地柄ぼんぼんとよく生るのか、価格も日本よりもずっと安い。今すぐにでも叶えられるけれど、淡く"いつか"と思い描く食べ物の夢のうちのひとつに"マチェドニアをおなかいっぱい食べる"というのがあった(他は大きくて白いクリームのたっぷり乗ったケーキを切り分けずに真ん中にフォークを入れて食べ尽くすことや、大きなスイカを半分に割って腕に抱えて食べ尽くすこと。お金の問題よりも勇気の問題であるような夢)。その夢は結婚パーティーで叶った。マルシェに並ぶ果物を片っ端から買ってきて、切ってはレモン汁の中に放り込んで大きなボウルたっぷりのマチェドニアを作った。千切ったミントを入れて、どぼどぼとさくらんぼのリキュールを注いで完成。それはそれは最高だった。

わたしもリュカも果物を食べる習慣はない。でも長い散歩から帰ってちょっと汗をかいた後などにふと食べたくなる。そういう時にちゃんとよく熟れたものが冷蔵庫に冷えていると嬉しい。だから常に数個は常備している。常備していると逆に食べる機会がない時もある。食後はカフェかお茶と決まっているから果物は食べない。わたし達はあまり間食もしない。間食する時はすごくおなかが空いている時で、そんな時は砂糖水のような果物ではなく、ナッツやガレットが欲しくなるから食べない。そうして食べる機会を失う。ところが先日友人のランチに招かれた時にとっても良いアイディアを得ることができた。暑い中歩いて歩いてやっと辿り着いた友人宅。彼女がまず、と出してくれたのはメロンだった。これがどんなに美味しかったことか。そしてこんな気の利いたおもてなしができる彼女を見上げた。暑い日に訪ねてきてくれる客人にはまず水と果物を。今度真似しよう。これにヒントを得て以来、わたし達は野菜の感覚で前菜に果物を食べるようになった。これは、食べる機会を逃すなどということはなくなっただけでなく他にも利点がある。まずもってわたしは大抵ランチもディナーも一品しか作らないので、手をかけずに出せる前菜があるのは嬉しい。そして果物をそのまま出すと皮を剥いたり切ったりして食べるのに時間がかかる。この時間にパスタを茹でたりすると果物が終わる頃程よくメインが出来上がる。良いことずくめだ。

日曜にひとりで散歩の途中ミュール((mûre)英語ではブラックベリー)を摘んでいて、さて帰ろうかと振り返った時足を滑らせてミュールの上に倒れてしまった。ミュールはバラ科で棘が沢山。この日は短パンとTシャツという露出の多いスタイルで足にも手にも棘が沢山刺さって血だらけ。起き上がろうにもどこを掴んだらいいのか。棘のある植物だらけ。まさか家のすぐ裏のいつもの散歩道でこんな怪我をしようとは。血まみれになって帰宅するとリュカが悲鳴をあげた。こうして体中切り傷だらけとなったがそう深い傷はなく、化膿せずに塞がった。その翌日、階下に住むマリー・ルイーズに呼び止められ、昨日孫と散歩に出て摘んだのだとボウル一杯のミュールを貰った。さすが、新参者のわたしと違って地元の人は立派に実のなる木の在処を知っているのだろう。ミュールの棘で傷だらけの体でミュールのコンフィチュールを煮ている姿はなんとも滑稽であっただろう。


Michelina |MAIL